[ 鷺草 (サギソウ) ]





三月になり寒さも緩んできた。
当たり前だ。春が訪れられないから。
けれど、暖房が手離せない。
図書室の石油ストーブの独特な匂いに顔をしかめながら、俺は本を読んでいるふりをする。
たまには部活をさぼりたくもなる。
俺には興味なくて俺の名前すら知らないであろう男子生徒を壁にして、俺は高柳から逃げることに成功した。

ハードカバーの表紙をめくると、今では使われなくなった貸出票が入っていた。
紙ポケットからそれを取り出し眺める。
知らない名前が続く中、知っている名前を見つけ、視線はそこで止まる。

 

あの子も昔読んだ本なのか。
貸出票を元に戻し、俺は表紙を眺める。
名前はよく聞く作家の小説。ドラマ化していた気がする。ドラマなんて見ないけれど。

ハードカバーの表紙をめくり、第一章の一段落目の文字に目を通す。
難しい文字の羅列に、目が回る。
気合を入れたら眉間に皺が寄った。
口をへの字に曲げながら、次のページをめくった。





北側にしか窓がない学校の廊下は、階が低い程薄暗い。
明るい場所から移動してくると、そこに誰かがいても顔がわからない。
外から校舎の中に入った俺は、に気付かなかった。
知らない女子生徒だと思い、通り過ぎた。
声を掛けられ、それがだと知る。

「原田くん!」
「ん?」
「小畑先生が探してたよ」
「げ、呼び出されたこと忘れてた。やっべー」
「ふふふ、『俺も呼び出したこと忘れるか』って言ってたよ」
「うわぁ、うっとうしい」

の横を早足で通り過ぎる。
ふわっと甘い匂いに心が和む。
の髪の匂い。
職員室の扉の前で一旦停止する。扉に手をかけ振り返ると、がぽつんと立っていた。
胸の前で小さく手を振っている。俺に。
俺なんかに、手を振って笑顔を向けてくれる。
嬉しくて勢いよく扉を開いてしまい、ガシャンと大きな音に驚いた教師たちが一斉にこちらを向く。
小さく「すんません」と謝った。
「ふふふ」と小さな空耳が聞こえる。振り返っても誰もいない。

が、側で笑っている気がしたんだ。

恋する乙女チックなことを考えている。
俺は男だというのに。

恋をすれば女性は美しくなるというが、男はどうなのだろう。
俺は弱くなっている気がする。
だめだ、このままでは。
でも、今日は部活をサボりたい。

あれ? 俺は高柳から逃げて図書室にいたはずなのに。
また「ふふふ」と小さな空耳が聞こえる。





「あ、起きた」
「……?」
「おはよう、原田くん」

本を枕代わりに、俺は眠っていたようだ。
隣の席にが座っている。
近すぎて、怖くなる。

「原田くん、その本読む?」
「あ、いや」
「じゃあ、私が借りてもいい?」
「お、おう」

本を閉じてに差し出す。
俺との指先が触れてしまう。
静電気に驚いて反射的に手を引くように、本を手離してしまった。
本は床に落ちることなく、の手の中にしっかりと納まっていた。

「また読むんだな」
「うん。好きなの」

何が好きなのか、言わなくても誰にだってわかる。
けれど、それが俺だったら、『原田くん』だったら、どれだけ嬉しいか。

「じゃあね」と言い、は柔らかい笑みを浮かべた。
心にすっと入ってくる。なんだろう、この感覚。
胸が苦しい。
溜息をついたら少し心が軽くなった。

恋って苦しいな。
バスケットの方が、ずいぶん楽だ。
受付で本の貸し出し手続きをしているの姿を視界の端に収めつつ、俺は図書室を後にした。







サギソウ:夢でもあなたを想う

From 恋したくなるお題 (配布) 花言葉のお題1


**************************************************

乙女ちっく徹くんがけっこう好き。
好きな人に限って夢に出てこないんだよなぁ。
迷惑好意(?)な人が包丁持って追いかけてくる夢とか見るのに!
好きな人が夢に出てくると、すがすがしい朝を迎えられる。
最近、ないな…

inserted by FC2 system