[ 冷 た く な ん か な い ]





1年生の1学期だというのに転校するのもどうかと思うけれど、どれもこれもバスケットの為だから仕方がない。
好奇の目で俺を見るクラスメイト、と同時に、俺に興味を持たず机とにらめっこしたままのクラスメイトもちらほらいた。
突然の転入生の席が教室の一番後ろになるのは当然のことで、窓際の一番後ろの席へ通された。
前に座ることになる男の顔を見ると、中学時代のサッカー部キャプテンだった奴。
顔なじみがいることに、ほんの少しだけ安心する。
隣の席の女は、ショートカットの黒髪を風にさらさらなびかせていた。
机とひたすらにらめっこしている。多分、机の木目を見ながら考え事でもしているのだろう。
どこにでもいる、おとなしい女だと思った。

一時間目は国語の授業で、ちょっとしたエッセイだった。
お決まりの朗読は、先生が生徒をランダムに指名するのだけれど、トップバッターは隣の女だった。
「じゃあ、。初めから読んでくれ」と若い男の先生が指名する。
彼女が返事をしたときから吸いこまれた。
彼女の「はい」という返事の声に。
とても優雅な声で、今までに聞いたことのないくらい綺麗なものだった。

聞き惚れていた、彼女の声に。
しばらく教科書を広げたまま呆然としていた。
が、ポンと頭を本で叩かれ顔を上げる。
サッカー部キャプテン、明が振り返って俺の頭を叩いたのだ。
「56ページの3行目から立って読めよ」と小声で言われ、俺は慌てて教科書をめくり立ち上がる。
その拍子に椅子が後ろに倒れて、ガタンと大きな音を立てる。
「おいおい、落ち着け落ち着け」と先生が言うと、教室に笑いの渦が起こる。
明は呆れて笑っていたし、隣の席のも笑っていた。

右手の指でくるくるとシャープペンシルを回しているうちに、授業は終わった。
無意識のうちにシャープペンシルはくるくる回る。
と、指を滑らしてシャープペンシルが勢いよく手から飛び出してしまった。
慌てて腕を伸ばしても指がかすることなく空を切っただけ。
カランカランと音を立ててシャープペンシルが床に落ちた。
白く長い綺麗な指がそれに触れ、床から引き上げ俺の前に差し出された。
「はい」とはあの綺麗な声で俺に微笑む。
俺はありがとうとも言えず、なんだかよくわからない言葉を発していた。
明は大爆笑していた。
明を見ているうちに、は廊下へ出て行った。
の後姿を見ていると、明が呟いた。





「笑えるんだな、あいつ。笑ってるの、初めて見たかもな」

「え、あいつって?」

「そう。徹は今日来たばっかだしな、知らねーか。笑わねーし、怒んねーし、冷たい奴。
 クラスメイトとも当たり障りのないようにうまくやってるって感じ?」





俺には笑顔が絶えない天然お嬢様に見えたけれど、実際そうではないらしい。
少し、興味を覚えた。という人間に。

来る日も来る日もバスケット。
それが日常だから苦痛にはならない。
ただボールを追いかけまわしている日々。
何も変わらない。
天変地異が起こるわけでもない。

昔から放課後の教室でのんびりするのが好きだ。
耳を澄ませばいろんな音が聞こえる。
耳が聞こえるということで、他の生命が生み出す音を感じて、自分が生きていることを実感できる。
部活をこっそり抜け出して、俺は放課後誰もいない教室へ足を運んだ。
自分の机の上に腰掛け、窓を開け放って外の空気を教室に入れる。
コツコツと足音が聞こえ、振り返るとがいた。
無言で自分の席につき、引き出しから学級日誌を取り出し、書き始めた。

明が冷たい奴だと言った理由。わかった気がする。
笑っていないと、本当に冷たい目で物事を見ている。
他人に興味がないんだ。普通なら「何してるの?」と俺に尋ねるものだから。
いや、普通と決め付けているだけかもしれない。

日誌を書き終えたは、帰る仕度をしていた。
俺は横目でその姿を見る。
かばんのジッパーを閉めたから、立ち上がってこのまま無言で帰るのだと思った。
けれど、意外なことに、はこちらを向いて微笑んだ。
俺は、危うく窓から転落しそうになった。





「何してるの?」

「い、今更かよ。普通、教室入った瞬間聞くもんだろ」

「ん、私、日誌書かなくちゃいけなかったから、それ以外のことは見えなかった」





自分の用事を済ませるまで、他人のことに興味はないというわけだ。
納得できた。
自分の朗読の番が終われば再び当てられることもないから他人に興味を持つ。
自分の傍に落ちたものを拾うのは礼儀だから拾って差し出す。自分の用事が済めば、他に控える用事にとりかかれる。
賢いと言うか、機械的というか、冷たいように見えるけれど人間味のある行動だなと。

鈴の音のような綺麗な声。
周りの空気が和んでしまう笑顔。
機械のようで人間味あふれる行動。
興味を持った。

何か言おうと考えているうちに、はかばんを抱えて立ち上がる。
「じゃーね、原田くん」と言い、手を振って教室から出て行った。
呼び止めようとしたけれど、呼び止める理由も無いので開いた口を閉じるだけ。
ふいに現れた廊下の影とがぶつかる。
「ごめんなさい」と謝るは、社交辞令で謝った。笑顔でなく、真顔で。
ぶつかった相手に笑顔をふりまく必要はないのか。
じゃあ、礼儀でシャープペンシルを拾って笑顔で俺に渡したのは、なぜ?
新たな疑問は消えぬまま。





「徹!おまえ、なにやってんだよ。監督に怒られるのはこっちなんだから」

「あ、高柳。わりーわりー、話しこんじまって」

「おまえ手が早いな。転入して早々」

「は?あ?・・・あー、彼女じゃねぇって」

「でも、好きなんだろ?顔見たらわかる。おまえはわかりやすいからな」





こいつには敵わないなと思いつつ、俺は机から軽く飛び降りて走って廊下へ出た。
は俺とは反対方向へ歩いていた。
一瞬は振り返って俺を見る。
社交辞令なんかじゃない。
ちゃんと微笑んでいた。









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ヒロインちゃんは、気に入った子にしか微笑まないという話。
つづき、また書こうかな、中途だし、これ。
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