いつも真横ばかり見ていて、上は見なかった。

窓越しに見た空は雲ひとつない青一色だった。





      [ 窓 越 し の 空 ]





朝練の為に早起きして家を出る。
実家の道場では、門下生が既に早朝練習を行っていた。
駅のホームで電車が着くのを待つ。
ブレーキをかけて、キーと電車の車輪とレールが摩擦できしむ音が聞こえた。
ガラガラでも満員でもない、各駅停車の電車。
空いている座席を見つけて座る。
隣に目をやると、氷帝の制服を着た女の子がいた。
広げているのは英語で書かれた絵本。
ピーターラビットのお話だった。挿絵を見てすぐにわかった。
彼女と目が合った。慌てて逸らそうとしてやめた。クラスメイトだから。
「あ、おはよう」と少し微笑む彼女。
俺も、「おはよう」と声をかける。
俺の辞書には微笑みなんて言葉はないのかもしれないな。

「朝練?」と単語だけの質問。
「あぁ」とそっけない返事。
「ふーん」と愛想の欠片もないあいづち。
は目をひざの上に広げた絵本に落とした。
会話はそれで終わり。俺は目を閉じた。

パタと本を閉じたような音が聞こえた。
目を開くと、のひざの上でハードカバーの絵本が閉じられていた。
「英語の絵本って勉強になるね」と彼女は微笑む。
そして、少しだけ目線を上に、あげる。
俺にはその意味が理解できなかった。
電車の中で上を見たって天井とつり革とつり広告しかない。
が呟いた言葉は、俺にとって衝撃的だった。





「真っ青な空だねー」





なんという意味のない言葉だ、と。
晴れていたら空が青いのは当たり前だ。
俺が無反応でいることに、は驚いていた。
けれど、俺ととは全くの別人で、物事の捉え方が違うということを思い出したようだ。
「そだね、日吉くんは空を見ること、普通のことだと思ってるんだね」と。
また衝撃的だった。
目があれば空なんていつでも見られるだろう、と。
理解に苦しむ。
はこんなに哲学的に物事を考えたりするような子ではないはず・・・。
いや、俺は端的な一面しか見ていないのかもしれない、彼女の。





「いっぱいいっぱいだと、空見る余裕すらなくなるんだよね。私、今日、久しぶりに真っ青な空見た気がする。
 電車の中でぼーっと空だけ眺めてると、時間の無駄かもしれないけれど、いい気分になったりするよ。
 日吉くんは、なんか、毎朝空を見上げてから家を出ているイメージあるんだけど」





あくまでイメージで、俺は毎朝空を見上げているわけじゃない。
けれど、やっとの考えていることがわかった。
晴れの日、雨の日、曇りの日、関係なく俺達は一日一日を過ごしている。
久しぶりに見るものがあれば、それがどんなに傍にあるものだとしても感動してしまうということ。
きっと、俺は空を見て、そういうふうに思うことはできないだろう。

俺にとって普通でない考え方。
けれど、彼女にとっては普通の考え方。
同じ世界で、同じ国で、同じ町で暮らしている。
同じ学校で同じことを教わっているのに、学んでいることは全く違うんだ。
「すごいな」と言うと、彼女は「何が?」と笑って尋ねた。
単純に、すごいなと思ったんだ。彼女の思想が。

電車が止まり、俺達はホームに降り立つ。
改札を通り抜けて見上げた空は真っ青だった。

授業中に見たの姿は、変わったところもなくいつもと同じだった。
今朝、「いっぱいいっぱい」だと言ったのは、何のことだろう。
何か重い荷物を抱えているのに、それが何だか外から見ていても全くわからない。
休み時間になれば、友達とよく話す、よく笑う。
自然と目で追っていた。
追うことが無意味だとは思わなかった。
他人のことなんて、どうでもいいはずだったのに。





また朝が来る。
道場からは早朝練習の掛け声が聞こえる。
空を見上げてみた。
少し雲が多いが曇りではない。

電車に乗り込めば、ホームと反対側にあたる扉の前のが立っていた。
俺は傍に行き声をかける。「おはよう」と。
「あ、おはよう、日吉くん」と彼女は笑顔で答えてくれた。
窓越しに見えた空は薄暗い曇り空。
「今日、昼から雨降るらしいよ」とは言い、持っていた赤の格子模様の傘をトントンと鳴らす。
家を出る前に、母親が傘を持っていきなさいと言ったことを、今更ながら思い出した。
「言われたのに傘持ってくる忘れたな」と言うと、
「夜にはあがるみたいだから、日吉くんが帰るころには止んでるかもね」と。
そう願いたい。





夜が来て、また朝が来た。
毎朝、学校へ行く前に空を見上げるのが日課になった。
今日は晴れ。雲が速いスピードで動いていく姿が気になった。

電車に乗り込んで辺りを見回す。
はいなかった。
息を吐いて、扉の前に立つ。
窓越しに空を見ていた。
青い空と白い雲しか、俺の目には映らなかった。

1時間目の授業が始まった。
の席は空だった。風邪でもひいたのだろうか。
昨日、雨が降って、急に冷え込んだからだろう。
教室の窓越しに見えた空は、青かった。雲は白かった。

学校の帰り、コンビニの前を通ると、マスクをしたがコンビニの中からでてきた。
水色のジーンズに黄色のパーカーを着て、手にはコンビニで買ったものが入っているビニール袋を提げている。
「今、帰り?」と尋ねたの声はかすれていた。
俺は頷き、「風邪?」と尋ねる。
「うん、咳が止まらなくて」と彼女は答える。





「そういえば、私、日吉くんの家のちょっと裏手に住んでるんだよ。知ってた?」

「へぇ、そう。知らなかった」

「そうそう、今お菓子買ったんだけど食べない?パイの実」





かすれた声で笑うは、袋の中からパイの実を取り出してパッケージを開く。
中からパイの実をひとつつかんで、俺に渡す。
「ありがとう」と言い、俺はパイの実を口に運ぶ。
パイの食感とチョコの甘さ。おいしいと思った。
彼女もひとつ食べる。けれど、それで止めてしまった。
沈黙、話すことがないのではなくて、彼女の声が出なくて話せないだけ。
上を見上げると夜空が広がっていた。
青い空、白い雲、どこにもない。月と星が真っ暗な空の舞台できらきら輝いているだけ。

「今日は、雲が動くのが早かった」今朝、空を見たときの感想を述べた。
「え?」とは疑問符の付いた言葉を発す。
けれどその後、微笑んでいた。
「日吉くんが今日の空を教えてくれるなんて、素敵だね」と。

それはのおかげだから。
彼女が微笑むところを、もう少し見ていたいと思った。
青空みたいにすかっとした気分にさせてくれる、この笑顔を。









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実果ちゃんの良影響により、日吉くん、はじめてみました(笑)
日吉くんは空見ても何にも思わなさそうだから。
一緒に電車に乗る友達と「今日はいい天気やねー」とか
「曇ってるわ」「雲がないから真っ青」「まだ5時やのに真っ暗やし」
とか。そんな感じで空の話題が多いです。
久しぶりに真っ青な空を窓越しに見たときは、
本当に余裕が無くて空を見ることすら忘れていたことに気づいて、空の青さに感動しました。
それが伝えたかったんです、このお話で。


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