[ w e a k ]
「けーご。けーご。・・・けーご?」
何度も名前を呼ばれているのに、気づかなかった。
「あなた、大丈夫?」と困惑した表情で母親に尋ねられた。
「大丈夫だ」と答えたけれど、母親は全く納得していなかった。
頭がとても重い。
世界が、ぐるぐる回って見える。
身体が言うことをきいてくれない。
壁をはうようにして階段を上る。
自分の部屋の扉を開いたところで、全身の力が抜けてその場に崩れ落ちた。
その後の記憶は、ない。
目を覚ましたら、カーテンを透かして光が部屋に差し込んでいた。
もう朝か。
昨夜、部屋の前で倒れた後のことは覚えていない。
誰が俺の身体をベッドに運んだとか、枕元にある水や薬を誰が用意したのかとか、さっぱりわからない。
身体は重いまま。俺はベッドに沈み込んだ。
誰もいない生徒会室、机の上に散乱した資料。
俺は、いつもの席に座って頭を抱えている。
ガタンと大きな音を立ててが部屋に入ってきた。
顔を見ると、怒っている。
なぜ怒っているのか尋ねようとしたが、が先に話したので俺の言葉はかき消された。
「ちょっと、跡部。会長印押してないよ。これも、これも、これも!!!ちゃんと見たの?
私たちには、3回チェックしろって言っておきながら、あんたがやってないんじゃ意味ないでしょ!」
の怒声で目が覚めた。
夢、だった。そして気づく。
昨日、に会長印がほしい請求書が3つあって、まだ整理していないから明日押印して、と頼まれたこと。
その明日というのが、今日であること。
「締め切りが明日だから必ずね」と念を押されたのにも関わらず、俺は家にいる。
慌てて身体をベッドから起こしたけれど、めまいがして再びベッドに倒れこんだ。
また、あいつに叱られる。迷惑かけたくない相手に限って、迷惑かけまくってしまう。
ため息をつくのと同時に、部屋の扉をノックされた。
部屋に入ってきたのは母親。
「お客様いらっしゃったから、相手してくるわね。おかゆ、ちゃんと食べて薬飲むのよ」
そのおかゆとやらがないのはなぜだろう、と疑問に思ったけれど、その疑問はすぐに消えた。
母親が部屋を出て行くときに「どうぞ」と誰かに声を掛けたのが聞こえた。
「はい」と聞きなれた声がした。
声の主は、トレイにおかゆをのせて俺の傍までやってきた。
まさか、とは思ったけれど声の聞き間違いはなかった。
が、制服姿で立っていた。
心配そうな顔で「大丈夫?」と俺に尋ねる。
「あぁ」と言おうとしたのに声がかすれて出なかった。
「全然大丈夫じゃないね」とは笑顔で言う。
本当に優しい口調。
さっき見た夢は、が怒っていることではなくて、押印すべき請求書があるということを俺に知らせたかったようだ。
俺は再び身体を起こした。今度はなんとか上半身を起こすことができた。
けれど、身体が重くて思うようにうごけない。
の持ったトレイを受け取ろうとしたけれど、力が入らず落としてしまいそうになる。
は小さく笑って「ダメダメだね。はい、口開けてー」と言う。
スプーンにおかゆをすくって、俺の口の前に出す。食べさせてあげよう、ということか?
俺は黙って差し出されたスプーンに口を近づけ、おかゆを食べた。
互いに黙ったまま、同じ行為を繰り返していた。
全て食べ終わると、が薬を水を俺に渡してくれた。
「あの跡部様がおかゆをアーンして食べさせてもらってるなんて、不思議ね」と言う。
「悪かったな」とぶっきらぼうに言えば、は不安そうな表情を見せた。
「跡部でも体調悪くなるんだね」
「ほとんどならねーけどな。この前、雨に濡れたせいかもな」
「こ、この前って、あの大雨の日?
私がテニス部の部室の前で傘なくて立ち往生してて、跡部は部室に用があるから傘使えって貸してくれた日?」
「さあな」
「さあな、ってその日しか雨降ってないでしょ?うそー、私の代わりに跡部が風邪ひいちゃったの?
どうして、私に傘なんか貸しちゃったのよ。
私が風邪ひいても誰も困らないのに、跡部が風邪ひいたらみんな困っちゃうんだよ」
今にも泣きそうな顔をしている。
ごめんなさい、と何度も俺に謝った。
は、俯いたまま顔をあげない。
俺は、彼女の頭をそっとなでてやった。
「俺が風邪ひいたから、お前は風邪ひかなくて済んだだろ。それでいいんだ」
そう言えば、は顔をあげて俺を見た。
ぽろぽろ、涙をこぼしていた。
胸が締め付けられるように、苦しくなる。
好きな相手が目の前で泣いていて、平常心保てる奴の気がしれない。
「請求書、持ってきたか?チェックしてほしいんだろ、俺に」
と言えば、は大きく頷いて、涙を手の甲でぬぐいつつ持ってきた請求書を俺に手渡した。
「忍足に聞いたら、跡部休んでるって言われて、途方にくれたんだけど、家まで行けば?って忍足に言われて」
そう言って、はまた涙をぬぐっていた。
「泣くなよ」と言いながら、俺はの頬を流れる涙を指ですくう。
少し、の頬が赤く染まったのは、気のせいだろうか。
ゆっくり、ゆっくり、いつもより数分の一のペースでしか請求書に目を通せない。
同じ請求書を見ること3回、3枚の請求書全てで繰り返す。
は、俺の傍で正座して黙って待っていた。
俺が顔を上げて「いいよ」と言えば笑顔で「ありがとう」と言ってくれた。
かばんの中の印鑑のありかを伝えると、は俺のかばんをそっと開いて印鑑を探す。
「あった」と小さな声が聞こえて、はテーブルの上で印鑑を押していた。
困った顔で俺を振り返る。
「ごめんね、風邪ひいてるのに押しかけて。私がちゃんとしてたら昨日ハンコ押してもらえたのに」
は請求書をかるくまとめて、かばんの中にしまっていた。
「早く、元気になってね」と笑顔で言って、俺の部屋から出て行った。
が俺の部屋に来ただけで、少しだけ、ほんの少しだけ、気分がよくなった。
早く風邪を治して、学校へ行こう。
あれから2日後。完治した俺は、朝練に参加するためいつもどおり家を出た。
部室へ入ると、仲間が出迎えてくれる。
ソファでジローがヨーグルトを食べていた。
「あとべーあとべー、はい、口開けて。あーんて」
と俺の傍にかけよってきて、ヨーグルトをすくったスプーンを俺の眼前に出す。
「気色悪いからやめろ」と俺はジローを避けてロッカーに荷物をしまう。
すねたジローはぶつぶつ文句を言っていた。「俺がやっても食べてくれないC」と。
忍足がそんなジローをなだめる。
「ジローかて、跡部とちゃんがあーんしてって言ったら、ちゃん選ぶやろ?」と。
俺はその言葉にぎょっとした。
ニーっと気味の悪い笑みを浮かべて、忍足が俺の肩に腕をまわしてくる。
「ちゃん、家に来たやろ?
跡部におかゆ食べさせてあげるなんて、よく考えたら恥ずかしくて壊れちゃう、って言ってたで。
・・・感謝しいや、俺がちゃんに跡部の家に行くようアドバイスしてやってんから」
「それが、どうした」
「なんやねん、気づけや、お前も!恥ずかしいっちゅうことは、緊張するってことやろ。
友達にするんやったら緊張せえへんわ」
「だから、何が言いたい」
「どこまで鈍感なん、自分?ちゃんが好きなんやろ。はよ告って幸せにしたげ。
ちゃんは跡部のこと好きなんちゃうの?」
そんなわけないだろ、と思いつつも、忍足の言葉が気になっていた。
忍足とはわりと仲がよい。
だから、忍足がの言葉をそのまま伝えていると思った。
今のままでよいか?そんなわけない。現状に不満を抱いている。
好きだから、両想いになりたいと思うのは普通だ。
なんて言葉をかけたらいい?
どうしたらいい?
答えを見つける時間が少なすぎる。
生徒会室で、俺と二人だけ。
は書類に目を通している。
手を伸ばせばすぐに触れられる距離にいるのに、触れられない。
けれど、触れたい。
俺は、何をしている?
手を伸ばして、の頬に触れて、身体を強張らせたを見て、口付ける。
動揺しているの瞳を見る。
ただ一言、「好きだ」と言った。
の視線が定まらず、さまよっていた。
もう一度、口付ける。
今度はもう動揺していなかった。
の瞳が、俺をまっすぐ見ていた。
「私も・・・好きよ」
思わず、ぎゅっとを抱きしめた。
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最初の呼びかけは、彼女のはずだったのに、一瞬で母親になりました。
そしてストーリーができていくという。
まっすぐ瞳を見て「好き」って言われたら、クラっとくると思う。
tennis dream ... ?
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