[ K く ん の 後 姿 ]






「あとべくーん」

間の抜けた声がする。
俺はその声を無視した。理由なんて、の反応が面白いからそれを楽しむ為だけだ。
案の定、は1度無視しただけなのに反応してきた。

「けーごのばかー。よばれたらへんじしろよー」

相変わらず怒っているのかどうかさっぱりわからない間の抜けた声。
活字で書くなら絶対ひらがなだ。漢字が1字もないような感覚。

放課後、俺は職員室で監督からの指示を聞き、それを部室にいる忍足に伝えた後、教室へ戻る為に階段を上っていた。
は俺の姿を職員室で見つけたらしく、後ろをトコトコついてきていた。
俺はの足音に気づいたけれど、あえてそれを無視することにした。
は気づいていないだろうけど、の反応はぶりっこではないかわいらしさを持っているから俺はそれを楽しみにしている。
俺は変わらずを無視して階段を上っていく。





「景吾さーん。景吾くーん。けいくん。あ、Kくんだ」

「意味わかんねーよ」

「あ、景吾が返事した!」





つい、ツッコミを入れてしまった。
俺は額に手を当てて項垂れる。
その間にはひょこひょこと階段を駆け上がり俺の隣にちょこんと立っていた。
顔は笑っている、いつもの笑顔だ。





「あのね、景吾の名前のイニシャルはKでしょ?だから伏せてもK吾だから何にも変わらないねって話」

「そういや、そうだな」

「でしょ?・・・苗字だと跡部だからA部さん。A部さん、A部さん・・・・・・言いにくいね」

「悪かったな」





クスクス笑いながらは階段を上っていく。
「おいてくぞー」と足を止めてこちらを振り返る。
俺は口元を軽く緩めて階段を上り始める。
放課後の静かな時間。階段に響くのは俺との足音。
1階から4階まで上り、廊下を少し歩けば俺たちの教室。
俺は教室からかばんを引っ提げて部活に行こうと再び階段を下りる。
も同じように教室からかばんを引っ提げて帰宅しようと階段を下りるのだと思ったが、
はかばんを教室においたまま俺の後ろをとことこついてくる。
全く意味がわからない。こいつは何がしたい?
振り返ればはニコニコ笑っている。
何か企みがあるのか?
真相は闇に包まれたまま。

は黙って俺の後ろをついてくる。
再び振り返れば、はきょとんとしていた。
俺が振り返ったことに驚いたような、そんな表情だ。
俺は首を傾げて昇降口を出て部室を目指す。
歩幅を小さくして、足の回転速度を遅くする。
ゆっくり歩けば、が俺の後ろにいる時間も長くなる。
俺は部活があるからと一緒にはいられない。
せめて、この奇妙な空間でもかまわないから一緒にいたい。

部室の扉の前で後ろを振り返る。
「俺、部活あるから・・・」と言えばは頷き、「いってらっしゃい」と手を振る。
大きな音をたてて部室の扉を閉じる。
身体の力が全て抜けてしまったかのように、俺は扉を背にしてその場にへなへなとしゃがみこむ。
部室には誰もいない。当たり前だ、俺が指示を与えにきたときから部活は始まっている。
扉の外から男女の声が聞こえてきた。忍足との声がする。





ちゃん、どうしたん?跡部の後ろ、ずっとついてまわってたやん」

「あ、見られてたんだね。・・・私ね、すっごく景吾の後姿が好きでね」

「後姿が?顔じゃなくて?」





男の子の背中って広いから頭をこうコツンと当てたらすごくきもちいいの。
でもそれだけじゃなくて、景吾はいろんなもの背負ってるのに広くてがっしりしてて、
折れたり曲がったりしないみたいですごくかっこよくってね。
甘えたいなって思っても、景吾の背中にはいろんなものが見えるから邪魔しちゃダメだなって思うの。
そういうときは、景吾の背中を追っかけるの。そうしたらちょっとだけ幸せになれるから。
一生懸命な景吾の姿を見てると私も頑張ろうって思えるから、景吾の後姿は私にとってエネルギーだったりするんだよ。

聞いていて恥ずかしくなってきた。
そんなふうにに思われていたとは知らなかった。
俺は、が後ろをついてくるのは何か企みがあるからだと思っていたけれど、そうではなかった。
『甘えたい』というサインに俺は気づかなかった。
慌てて部室から飛び出したが、の姿は校舎の中へ消えていった。
追いかけようとして駆け出したら、目の前の進路を忍足に塞がれた。

「追いかけたらアカン。ちゃんは部活あんの知ってたから跡部の背中追ってたんやろ。
 エネルギー蓄えたから帰るって言っとったやん。
 今日はしっかり部活やって、終わってから電話でもメールでもしたり」

大きく息を吐いて部室に戻った。
着替える手はいつもの速度を持たず、ダラダラとしている。
の出すサインに気づかなかった。それだけが悔しい。
もう一度ため息をつく。
「よしっ」と声を出して気合を入れて、俺は部活をすることに頭を切り替える。
ラケットを右手に握り締めて、俺は部室の扉を開く。
太陽の光が眩しく、目が眩みそうになる。
校門の向こうへと消えていくの後姿を黙って見送った。





 @




夕日が沈んだ後、部活終了の合図をし各々片づけを始めた。
片付けが終わったという報告を受けて、俺は部室へ飛び込みロッカーの中のかばんから携帯電話をとりだす。
そのまま着替えず部室の外へ出てメモリダイヤルからを呼び出して電話する。
数コールしてからが電話に出る。
バックミュージックが聞こえる。おそらく家で音楽でも聞きながら英語の予習でもしていたのだろう。





『もしもーし、景吾?どしたの?』

「昼間、忍足と話してたの聞いてたから、・・・その、の甘えたいっていうサインに気づけなくて、悪かった」

『あ・・・聞いてたんだね。でも景吾の邪魔しちゃいけないし、私は景吾の後姿いっぱい見たからもう大丈夫だよ』





無理をしているようには聞こえない。
けれど、きっとどこかで無理をしているはずなんだ。はそういう性格だから。
気づいて助けてやらないと、底なし沼には沈んでしまう。
誰にだって沈みそうなを引き上げられると思うけれど、俺が引き上げてやりたい。
他の奴に引き上げさせてたまるか。





「まぁ、が無理してんのは、俺、わかってるから・・・」

『無理してないってばー』

「俺がしてるっつってんだから、してるんだよ、バーカ」





が携帯電話の向こうで大笑いしている。
俺には理由がよくわからなかったけど、にとって何かが面白くて笑っているのはわかったから俺は安心した。
は、無理をすればするほど笑わなくなる。笑ってるのなら大丈夫なのだろう。俺の考え過ぎだったのかもしれないな。






『ありがとう』

「俺は何にもしてないから、に感謝される意味がわかんねぇよ」





携帯電話から聞こえるの優しい声は子守唄。
心地よい振動が俺の中に入ってくる。
抵抗を受けて減衰することなく、そのままの振動が伝わってくる。
部活の疲れとの子守唄が重なって、俺を睡魔が襲う。
あくびを噛み殺して閉じようとするまぶたを開こうと反抗する。





『景吾さぁ、今、めちゃくちゃ眠たいでしょ?声が変だよ。部活、お疲れ様。
 電話してくれてありがとうね、すっごく嬉しかった。家に帰ったらゆっくり休んでさ、また明日も頑張ろうね』

「あぁ、悪いな。眠くて仕方ねぇよ。また明日な」





を気遣ってやらないといけなかったのに、に気遣ってもらってしまった。
いつも助けてもらってばかりだなぁと思う。
もっと他人を思いやれるようにならなくちゃいけないとは思うけれど、のようにうまくはいかない。
世の中そんなに甘くないということだろう。

でも、少しだけわかった。
の甘えるサインがわかったから、そのサインを見つけたときはちゃんと気遣ってやろう。









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イニシャルで伏せたらこうなるよね、という会話をしていて、
それ以来伏せた名前で呼ばれてる子がいるんで。
先生の名前でさえ呼ぶのが嫌だから「T」って呼んだり。
例えば「大野くん」なら「O野くん」だから伏せる意味がなかったり。
けごたんも名前は伏せる意味ないよねって話です。


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