[ ゼロを彩色く ]





目覚めたら、朝だった。当たり前のことが、当たり前でないこともある。
朝6時にアラームをセットしたはずなのに、今の時刻は10時。
午前中だが朝早いとはとても言えない。それに遅刻だ。
さんとデートの約束をしているのに、待ち合わせ時刻の30分後に起床するとは何事か。
スマホには彼女からのメッセージが2通と、着信履歴があった。

『到着しました! お待ちしてます』
『急なお仕事ですか? それともまだおやすみですか? お昼まで待つので連絡ください』

ベッドから飛び起きて、足を滑らせて畳の上に尻餅をついた。
大きな音にハロが驚いて、飛び跳ねた。
急いでさんに電話をかけると、すぐに出てくれた。
スピーカーフォンに設定して、身支度を整えながら通話する。


「すみません、今、起きました。すぐ向かいます」
「零さんの声、枯れてますよ。お疲れですよね。今日はやめておきましょうよ」
「いえ、大丈夫です。さんに会いたい。だから、すぐ行きます」
「無理しないで、休んでください。零さんの体が大事だから」
さんに、会いたいんです。最近ポアロにも来てくれないじゃないですか。随分顔を見ていないから、直接触れて安心したい」「わかりました。堤無津川のいつものベンチで待ってます。ハロちゃんも連れてきてくださいね」


返事をする前に通話は切られてしまった。
仕方がないので、動きやすいデニムと薄手のニットを合わせ、ハロを連れて家を出た。
朝の4時に眠って6時間睡眠は十分だ。
太陽の光を浴びながら堤無津川へ向かう。空腹だというのに足取りは軽い。
久しぶりにさんに会える、触れられる。それだけで、心躍るのだ。

待ち合わせ場所に向かえば、彼女はベンチに座って空を見上げている。
天気は晴天。彼女は「日焼けが気になる」と言うだろう。
隣には白いビニール袋がいくつか載っている。
自分が挨拶するよりも先に、ハロが「アン!」と鳴いて彼女を振り向かせるのだ。


「ハロちゃん!」
「僕もいますよ」
「零さん、こんにちは。やっぱり、少しお疲れですね。目の下にクマ、できてますよ」
「6時間きっちり眠って寝坊したんですけどね」
「お腹すいてませんか? パン屋さんで焼き立てのクロワッサンを買ってきました。あと、コーヒーとサラダにフルーツ、ハロちゃんのごはんも」


米花町の川沿いだというのに、まるでピクニックに来たようだ。
外はカリカリ、中はふんわりと焼きあがったクロワッサンを頬張ると、予想以上に空腹だったらしく夢中になって食べていた。
足元でハロはドックフードにがっつく。
「飼い主に似るって本当ですね」とさんは愉快そうに笑った。クロワッサンのおいしさに頬が落ちんばかりの笑顔を見せている。
ポアロで働いていれば、食事で笑顔を見せる人をたくさん見ることができる。さんの笑顔は特別だ。それほどに愛おしい。
カットされたパイナップルにピックを刺し、彼女は僕の前に差し出す。


「零さん、どうぞ」
「ありがとうございます」


ピックに手を伸ばそうとしたが、彼女はその手を僕の口のほうへ近づける。
パイナップルが唇に触れて冷たい。
口を開くと、彼女は微笑んで僕の口の中へパイナップルを運ぶ。
パイナップルを食べさせてもらった。ただそれだけで、心が満たされる。
さんの手からピックを取り、りんごに刺して彼女の口の前に差し出す。
彼女はそれをぱくりと口の中に収めた。
「おいしい」と呟く彼女は、やはり終始笑顔を見せる。


「そんなにおいしいですか?」
「ごめんなさい、お口に合わなかったですか?」
「いえ、おいしいですよ。ただ、さんがとてもおいしそうに食べているので」
「おいしいです。零さんが一緒ですから。誰かと一緒に食べると、おいしいものがもっとおいしいく感じませんか? 普段は一人で食べることが多いので」


外回りの多い仕事をしていれば、昼食の時間はバラバラで同僚と食べることも少ないだろう。
一人暮らしならば家に帰れば一人きり。ポアロでまかないをマスターや梓さんと食べる僕とは違う。
空を見上げたさんは、宝物を見つけたかのように僕を振り返って言う。


「零さんと一緒にいられて、本当に幸せ」
「僕もですよ」


さんの肩に頭を載せる。彼女は嫌がらずにそのままでいてくれた。
寝坊をして待ち合わせに遅れた挙句、ランチの用意をすべてしてくれて、あまりの心地よさに少し眠くなった自分に肩を貸してくれる。
できた人すぎて申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
それなのに、眠気に勝てない。


「せっかくのデートなのに、すみません。遅刻するまで眠ったのに、まだ眠くて」
「帰りますか?」
「もう少し、このまま、一緒にいさせてください。ハロは散歩したいだろうけど、もう少しだけ」
「零さんの好きにしてください。肩くらい、いくらでも貸しますから、ゆっくり休んで」
「すみません」
「謝らないで」


さんの優しい声が子守唄のようだ。彼女の手が、膝の上でくんだ僕の手に触れる。手の甲をすっと撫でて離れていった。
名残惜しくてその手を掴み、指と指を絡めた。彼女は僕の好きにさせてくれた。
彼女といると、安室透でもなく、バーボンでもなく、公安警察の降谷零でもなく、ただの一人の人間としていられる。
自分のやるべきことは、この国を守ること。それすらも忘れてしまうくらい、ここは居心地がよい。
このまま彼女と一緒に居ることは、自分にとっていけないことなのかもしれない。
いつか彼女を傷つけてしまう。さんの悲しむ顔は見たくない。

思考回路を壊すように、ハロが「アン!」と鳴いた。
さんにもたれかけていた体を起こすと、ハロがしっぽを振ってこちらを見ている。
今の時間を大切にしろ、そう言いたいのだろう。


「ハロの散歩をさせたいのですが、いいですか?」
「もちろんです。行きましょう」


てきぱきとサラダとフルーツの入っていたトレイをビニール袋に詰め込み、さんは荷物を抱えて立ち上がる。
彼女もハロも、僕の生活の一部だ。
とてもとても大切な、僕になくてはならないもの。欠けたら、自分が自分でいられなくなるかもしれない。


「零さん、雲が綺麗な色をしていますよ」
「あぁ、彩雲ですね」
「サイウン?」
「彩色の彩に、雲と書いて、彩雲。気象現象の一つです」
「いいことが、ありそうですね」
「もうたくさんありましたよ」


きょとんとするさんを横目に、ハロを先頭にして二人並んで歩く。
パンがおいしかった。フルーツを食べさせっこできた。さんに会えた。彼女の笑った顔が見れた。声が聞けた。
ただ、それだけ。それが、自分にとっては「いいこと」で幸せなことだ。

それが、明日も明後日も、ずっと続きますように。





お題は「オーロラ片」様からお借りしました。


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お題が素敵すぎて、書くしかないと思ってお借りしました。
好きなバンドの彩雲という曲がとても好きです。

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