[ 無意識のゼロセンチ ]





柊くんは自分から誕生日を祝ってくれと言うタイプではない。勝手に甘さ控えめクッキーを焼いて学校に持ってきたけれど、クラスが違えば渡すチャンスがなく、渡せないまま放課後になってしまった。部活が始まる前に渡したくて柊くんのクラスを訪れると、教室掃除で黒板を拭いている柊くんに遭遇。会えてよかった。誕生日おめでとうとメールは送っていたが、顔を見て伝えたかったし、クッキーも食べて欲しかった。名前を呼ぶと振り返ってほんの少しだけ表情が緩むのは、私が柊くんの「彼女」という特別な関係でいられるからかな。

、お疲れ」
「誕生日おめでとう! 甘さ控えめにしてクッキー焼いてみたからもらってくれると嬉しいな」
「ありがとな。もらう。腹減った。もうすぐ掃除終わるから、うち来るか?」
「部活じゃないの?」
「体育館の雨漏り修理で使えねぇんだよ」

突然のおうちデートのお誘いに胸がどくどくと全力疾走中。今日のタイツは指先に穴開いてなかったっけ、と変な心配をしつつ、冬の乾燥した空気の中を柊くんと並んで歩いた。付き合い始めたばかりの私たちはとてもぎこちない。手も繋がないし、会話が弾むわけでもない。こんなのでうまくやっていける気がしない。柊くんのことは好きだけど、付き合うって何だろう?
狭い歩道で人とすれ違うのは難しい。向かいから来る人を避けて、気づけば柊くんの腕と私の腕が触れ合っていた。手袋をはめた私の手が、柊くんの手に触れている。手を繋いでもいいのかな。
結局、ふたりの腕の距離はゼロのままなのに手を繋ぐことができずに柊くんが暮らすアパートまで来てしまった。

ケトルで沸かしたお湯をマグカップに注ぐ。ティーパックをそっと浮かべて沈むのを待つ。フレーバーティーの色がじわじわと滲みだすのを凝視していると、柊くんが笑った。じわじわ染まっていくのが見ていて面白いと伝えると、「って変わってんのな」と言われた。
褒め言葉ではないけれど、柊くんに特別扱いされている気がして嬉しくなる。私が焼いてきたクッキーを柊くんはぽんぽんとテンポよく口に運ぶ。

「甘くなくていいな、これ」
「お口に合ってよかった」
が作ったモン、また食べたい」

あぁ、とても嬉しい。こんなことだけで生きていてよかったなと思う。好きな人が私の作ったお菓子をおいしいと言ってくれて、それをまた食べたいと言ってくれる。私のことを必要としてくれている。柊くんのことを好きになってよかったし、好かれたことが何より嬉しい。

クッキーがなくなると私たちの間には沈黙が続きがちだ。宿題をすれば沈黙も苦ではなくなるだろうと思い、ふたりで宿題をする。ふたりとも勉強はそれなりにできるほうなので、互いに教え合いっこしなくてもすんなり終わってしまう。柊くんの誕生日なのにこんなのでよかったのかな。ケーキでも買ってこようか。特別なお祝いがしたいけれど、アルバイトをしていない私は親からもらうおこづかいしかなくて、クッキーを焼くくらいしかできなかった。本当はバスケットの役に立つものを買えたらよかったのだけれど、ルールすら理解していない私は何が喜んでもらえるのかわからない。

まだまだ日が暮れるのは早くて、窓の向こうはいつの間にか月や星が輝く時間になっていた。窓の向こうに視線を送っていると「帰るか?」と柊くんに問われて、本当は私に早く帰ってほしくて言えなかったんだなと少し寂しくなる。柊くんは誕生日をひとりでゆっくり過ごしたかったのかもしれないね。
家まで送るという柊くんの申し出を断れず、沈黙を夜道に足跡として残してしまう。触れ合えそうなくらい、ゼロに近い距離にずっといるのにどうして触れられないのだろう。角を曲がって私の暮らす家まであと数メートルのところで、ぎゅっと手を掴まれた。手袋をはめた私の手では柊くんの体温はわからない。

「やっぱ、もう少しだけ、ちょっと……」
「柊くん?」
「晩飯の時間だし、帰るよな。ここまで来て、ともう少し一緒にいたくて、帰したくなくなった。ごめん」

柊くんは私に帰って欲しかったわけではなくて、一緒にいたかったようだ。私が帰りたいと彼が勘違いしたのは、私が帰りたがっていると思わせるような何かがあったから。離れた手をもう一度掴んで引き寄せる。

「今日の晩ご飯、カレーだから食べていかない? 父さんは出張で帰ってこないし、母さんは夜勤、お兄ちゃんはバイトがあるから十時まで帰ってこないから、一人で晩ご飯は寂しいし」
「いいのか? 俺と一緒にいてもつまんないだろ?」
「どうして? 私は柊くんと一緒にいて楽しいし嬉しいよ。柊くんは私と一緒にいて楽しくない?」

首を横に振る柊くんの手を引いて家に入る。気が付けば私たちの距離はいつだってゼロセンチ。玄関の扉が閉まると同時に互いの唇が重なった。
会話が弾まなくても、私たちは好き会っていて、恋人で、一緒にいるだけで幸せなのだから。

「カレー食う前にもう一回」

離れた唇は再び重なった。









お題は「確かに恋だった」さんよりお借りしました。

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6年ぶりの仁成さん誕生日祝いですみません、そんなに書いてなかったんだ。。。書いた本人がいちばんビックリしてる。


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