[ スイートピー ]





今日ほど居心地の悪い教室はない。
卒業式。まだ進路の決まらないクラスメイトの浮かない顔。
浮かれた表情を見せまいと必死になる俺たち。

三年生のクラスで仲のよい友人達は、まだ本命の国公立大学の合格発表を迎えていなかった。
かける言葉が見つからず、朝の挨拶だけ交わし、その後は席でぼんやりしていた。
隣の席のも、推薦入試でどこかの大学の合格を決めていた。
俺と同じように、一人で小説を読んでいる。

そういえば、はいつも小説を読んでいたな。
理系なのにミステリーは読まず、純文学ばかり読んでいると言っていた。
お気に入りの小説を教えてもらったら、実家の本棚にあった小説だったもので、拝借して今は俺の部屋に置いている。

パタンと本を閉じる音がして、は小説を鞄の中へしまった。
顔をの方に向けると、もこちらを向いた。
パチパチと瞬きをし、少し微笑む。
ドキリとする。



「読み終わったのか?」
「うん、これで高校生活最後の読書」
「まだ春休みがあるだろ?」
「学校で読むのが、ね。柊くんと話すのも今日でおしまい、かもね」



言い切らなかったことが、少し嬉しかった。
また、会える可能性を残してくれた。
違う大学に行っても、また会いたい。話したい。
そう思える数少ない友人の中に、も含まれた。
友人というより、俺が一方的に慕っているだけ。



「なんか、また会う気もするけど……」
「今、一緒にいるのに先のことなんてわからねえよ」
「そうだね。ふふふ」



雑談をしていたら、チャイムがホームルームの開始を告げた。
ニットとジーンズを好む担任の教師も、今日はスーツを着ている。
制服を着て通う学校もこれで最終日。
大学生になれば制服なんてない。
校則にしばられることもない。

体育館には緑色のシートが敷かれ、パイプイスが並べられている。
何度か見た風景。
早く終わらないか。眠い。立って座って立って座って、人の話を聞くふりをして。
名前を呼ばれたら返事をして。歌を歌って。

誰かにとって大切なこの時間は、俺にとってはあまり意味のないもので。
早く終われと念じて目を閉じた。



式典ではクラスの代表だけが卒業証書を受け取る。
残った俺たちは、教室で担任の教師から受け取った。
「おめでとう」と全員に声を掛ける教師の行動は無駄にも思えたけれど、
その「おめでとう」の中にはひとりずつ異なる思いが詰まっているのだろう。
教師の表情を追いかけるのが面白かった。

は控えめな笑顔を教師に送りつつ証書を受け取った。
教師も、それに釣り合うような温かい表情をしていた。
俺はどうだ。どんな表情をしていたのだろう。
教師は、涼やかな表情をしていた。

席に戻ると、が口を手で覆って笑いを堪えていた。
俺の何がおかしい?



「柊くん、仏頂面全開だったよ」
「そんなにか?」
「おもしろすぎて、お腹痛い」
「笑い堪えすぎ」



担任の教師は、俺の仏頂面を見て涼やかというより冷ややかな目で見ていたのだな。
少し睨みつけてやると、証書を渡し終えた教師と目が合った。
笑っている。俺を見下しているのやら、面白いと思っているのやら。

最後のホームルームを終え、皆、散り散りになる。
俺も部室へ向かうために教室を出た。
「柊、またな」と委員長に声を掛けられ、「おう」と返事をする。

三年生のクラスは楽しかったな。
委員長は、絵に描いたような優等生なのに、爽やかで誰とでも仲良くしていた。
俺も、その一人だ。
女子も、俺に色目を使う人はほとんどいなかった。
なんて、一瞬たりとも俺にそんな目線を送りはしなかった。



「柊くん!バイバイ」
?おう、じゃあな」
「忘れないでね」
「何を?」
「私のこと、覚えていてね」



ニコっと微笑んで、は回れ右をする。
俺に背を向け、廊下を歩いていく。
その姿を見送っていると、突然、は立ち止まった。
そして、勢いよくこちらに向かって走ってくる。
俺の隣に並んだは、間抜け面をさらしていた。



「間違えた。靴箱こっちだった」
「バカだな」
「柊くんも靴履き替えるでしょ?一緒に行こう」
「おう」



仲がよいわけではなかったのに、卒業式の日に校内で過ごす最後の相手が俺でよいのだろうか。
普通は仲のよい友達と一緒に帰るのではないだろうか。
並んで歩く廊下が果てしなく長く感じた。

鞄の中に上履きをしまう
俺は上履きを手に持ったまま、の隣に立っていた。



「上履き、持ったまま?」
「あ、あぁ。部室で鞄の中に入れる」
「おもしろいなぁ、柊くんは」



は笑いながらスタスタ歩いていく。
俺は、の背中を追いかけた。
意外と歩くのが早く、意識しないと追いつけない。
身長差があるから、歩幅が違ってすぐに追いつけると思ったのに。

校門の前まで追いつけなかった。
立ち止まったに、やっと追いついた。
振り返ったは満面の笑みを浮かべている。



「どう?これで私の印象、強く残ったでしょ?」
「そのために早歩きしてたのかよ」
「そう。こんなに一生懸命歩いたの、初めてかも」
「どうして?」
「どうしてそんなこと、するのかって?柊くんに私のこと覚えていてもらうために決まってるじゃない」
「はぁ?」



腑に落ちない。
けれど、投げかける質問が思いつかない。
「またね、柊くん」
笑顔で手を振り、はこちらに背を向けて校門の外へ旅立った。

また、会うのだろうか。
俺が、のことを覚えていたら、また会うのだろうな。







スイートピー:私を覚えていて

From 恋したくなるお題 (配布) 花言葉のお題1


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春先に書き始めたのですが、今日は7月後半です。
不完全燃焼。
鈍感、仁成さん。
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