[ グ ラ タ ン ]





突然の夕立。
傘はない。
走って帰った。
アパートの屋根が雨を遮るまで、ずっと濡れていた。
寒気がした。

世界がぐるぐる回る。
頭が重い。
ベッドから身体を起こしたけれど、結局また倒れこんでしまった。
携帯のバイブレーションが聞こえたけれど、それもだんだん遠ざかっていく。
物音は、すべてただの雑音にしか聞こえない。
それでも、玄関が開く音だけはきっちり聞こえた。
けれど、身体が動かない。

「仁成???」
俺の名前を呼ぶ声。
声を聞けば、誰だかわかる。が来たんだ。
ベッドから起きることができずにいる俺の傍まで来たは、俺の額や頬に手を当てる。
熱を計っているのだろう。
自分でもわかっている。
熱が出ているだろう。身体が熱い。





「さっき一度来たんだけど、ゆすっても声かけても起きなかったんだよ、仁成」

「そう・・・なのか?」

「無用心だね」





はかばんの中からいろいろなものを取り出す。
何かが入った耐熱容器、保冷材、体温計、薄手のタオル、ペットボトルに入ったお茶、風邪薬。
ハイ、と体温計を渡され大人しく体温を計る。
ぼーっとしていれば体温が計測されて、ピピピと電子音が鳴る。
ぼんやりする視界に見える体温計の数字は、38。
体温計はにすぐ取り上げられた。
「あまり食べたくないだろうけど・・・」と言いながらがレンジで温めていた耐熱容器を取り出した。
少し甘い匂いがする。
グラタン。
そういえば、今日はが調理実習でグラタンを作るって言ってたっけ。





「グラタン作ってさ、仁成に食べて欲しくて『おなか痛いからー』って言い訳して持って帰ってきちゃった」

「しかも耐熱容器に入れて。用意周到」

「ふふ、そしたら仁成の家行ったら風邪ひいてますからね。どしたの?今日は学校来てたよね?」

「雨に濡れたからな・・・」

「ダメじゃん。アスリートの身体を大切にしてあげてよね」





ベッドから身体を起こした俺と、床に座ったままの
風邪を引いた俺と、元気な
中途半端な距離。
ホワイトソースが甘い。
一人暮らしで風邪を引くと致命的だ。

まだ俺が食べ終えていないけれど、は立ち上がった。
帰るのだろう。にだって自分の生活があるから。
俺には引き止める理由もない。
ただ、もう少しだけここにいてほしい。
ここには、何もないから、せめてだけでも。
けれど、口に出せずにいる。

は「帰るね」と言いかけて、それを止めた。
俺の顔を見て、首をかしげて笑った。
「耐熱容器、持って帰らなくちゃ」と言うだけれど、多分、俺の気持ちに気づいている。
は俺の隣に座った。
風邪がうつるのなんて、気にしないのだろう。

「ごちそうさま」
グラタンを食べ終えたら風邪薬を飲まされる。
病院に行かないのなら、市販の薬でなんとかしよう。
耐熱容器を洗う
シンクの前に立つの姿を見て、このままがずっとここにいればいいのにと思った。
それは、ただ自分の都合のよいようにを使いたいだけなんだとわかって、自分に失望した。

「もう帰るよ。しっかり寝て早く元気になってね」
に心配をかけないように、こんなことは二度とするもんか。
別れ際にに抱きしめられた。
珍しいことも起きるものだ。
冷え切っていた身体が、芯まで温まるような気がした。


額に当てた保冷材が溶け出す。
早く治れ。風邪なんて治れ。
次にと会うときは、元気な姿を見せられるように。









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前から調理実習で作ったグラタンを仁成さんに食べさせるという内容のことは
考えていました。多分、6年以上前に。笑
一人暮らしで風邪をひくと致命的という話を最近よくきくので。

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