[ 青 空 ]






「分母分子をXで割ったら、分子は定数になって、分母はXになるでしょ?
 Xを無限大にしたら分母がめちゃくちゃ大きくなるけど、分子は定数だからゼロになるの」

「あー、わかった。ふんふん」

「あ、仁成」





期末テスト前、教室で友達の家庭教師をしていた私は、開け放たれた廊下側の窓から仁成の姿を確認した。
仁成は私に気づいて足を止める。
いや、違う。一度止めていたのを動かして、また止めたんだ。
多分、仁成は、少しの間、私達のことを立ち止まって見ていたと思う。

私は友達を放って、仁成の元に駆け寄った。
仁成は部活がないから、今から帰るらしい。
私も一緒に、と言いたかったけれど、数学が苦手な友達を放ってはおけない。
「またね」と言って仁成に手を振る。
友達が「私のことはいいから、一緒に帰んなよ」と言ってくれたけれど、
仁成は「勉強、見てやれよ」と言って帰っていた。
少し、淋しかった。
嘘じゃない。少しでいいから仁成と一緒にいられる時間がほしいから。
すれ違いの毎日じゃつまらないから。

友達の隣の席に腰掛ける。
少しぼーっとしていたようで、「?大丈夫?」と心配される。
笑顔で「大丈夫」と答えれば、友達は申し訳なさそうにしていた。
「せっかく柊くんと一緒に帰れたのに」と。
まぁ、一緒にいられる時間はほしいけれど、そのうち一緒に帰れるだろうから、今日はがまんする。
友達に数学を教えつつ、私は英語の長文を読んでいた。











いないだろうと思いながら、それでもいないという事実を確かめて納得するために、の教室の前を通り過ぎる。
驚いたことに、人の声が聞こえてきた。
女の子のソプラノ。
の教室に近づくほど、声は大きくなる。
開け放たれた窓から、とその友達の姿が見えた。
話の内容から、が勉強を教えているらしい。
しばらく立ち止まって、2人の姿を眺めていた。
仲良く勉強している。邪魔をする理由は浮かばない。
俺は、黙って立ち去ろうとした。
少し足を進める。するとの声が聞こえた。「あ、仁成」と。
俺は、足を止めて教室の中のに目をやる。
は立ち上がって教室から飛び出してきた。





「おつかれ。部活、ないんだよね。もう帰る?」

「あぁ。勉強してんの?」

「うん、あの子、数学苦手だからねぇ」





「またね」と言って、私は仁成に手を振る。
すると、教室の中からの友達が言ったんだ、「私のことはいいから、一緒に帰んなよ」と。
と一緒にいたいのは偽りのない事実だ。
けれど、が作っている勉強する空間を邪魔するわけにはいかない。
「勉強、見てやれよ」そう言って、俺は廊下を突き進んだ。
淋しくないとは言えない。
仕方がないから。諦めることも、少しは大事だから。

げた箱から取り出した靴を床に落とす。
パンと乾いた音が昇降口に響く。
砂ぼこりが舞う校庭。
一度だけ振り返り、がいるであろう教室に目をやる。
こんな遠くからの姿が見えるわけがない。
見えるわけがない。

赤く染まろうとしない真っ青な空。
制服のポケットに手をつっこんで歩きだした。
となりにいてほしい人はいない。
多分、いや、確実に、今はのことを考えている場合ではない。
明日は期末テスト初日。
俺も、勉強しないとな。











いつのまにか、教室の窓から赤い光が差し込んでいた。
時計の針は止まることを知らず、どんどんまわっていく。
そして、あっという間に真っ暗になり、窓から星空が見渡せた。
友達はこんな時間まで付き合わせて申し訳ないと、頭を何度も下げていた。
実際、わからないところを教えてあげただけで、それ以外の時間は自分のテスト勉強をしていたから、
有意義に過ごせてよかったと思っていたのだ。謝られる理由なんてない。
すばやく帰り仕度を済ませて、学校を飛び出した。
早歩きで駅へ向かう。
必死になっている自分がいて、笑ってしまう。
たかが早歩き。
隣で同じように必死になっている友達の姿を見て、黙って歩き続けた。
駅に着く頃には、額から汗が流れ落ちていた。

駅に着けば友達とはお別れ。
反対方向に進んでいく電車に乗るから。
乗り込んだ電車はすぐに発車する。
私は、電車の中からホームに立つ友達に手を振った。
彼女も、笑顔で手を振りかえしてくれた。
電車の中から、ずっと夜空を見ていた。
家に着いたら仕上げのテスト勉強をしなくちゃとか、
明日も仁成に会えるかなとか、一緒に帰られるかなとか、
そんなことが頭の中に浮かんでは消えていった。

電車から降りて、地元の街に戻ってきた。
8時閉店の店はみなシャッターを閉めていて、駅前に明かりは少ない。
できるだけ店がたくさんある明るい道を通って帰る。
コンビニの角を曲がって横道に入る。
細くて暗い道。
後ろから足音が聞こえたので、足は前に進めたまま少しだけ振り返る。
近所に住んでるおばさんが犬の散歩をさせているところだった。
知っている人が近くにいることで安心する。
月明かりと街灯を頼りにして、私は家にたどりついた。

家の前に人影。
身構えることもない。
輪郭で誰だかわかるから。仁成以外ありえない。
私が近づいていくと、仁成は地面に向けていた視線をこちらに向けた。
「おかえり」と優しい声が聞こえた。
「ただいま」と穏やかな声で言えた気がした。











「ただいま」と、の穏やかな声が聞こえた。
少し疲れた表情をしているのは、電車に乗っていたからだろう。
俺がいなかったらまっすぐ家の中に入って夕食をとるはずだ。
疲れた身体を休めたいと思っているだろう。
今更、来るんじゃなかったと思った。
本当に今更だ。
少しだけ話して早く帰ろう。
初めからそのつもりだったけれど、よりいっそう少しだけにしようと思った。

けれど、いざ話そうと思うと話すこともなくて、途方にくれる。
ただ会いたかっただけ。会って、の顔を見て満足したかっただけなんだ。
それなら写真でも見ていればいいと自嘲する。
黙ったままの俺を、不思議そうには見つめていた。

「テスト勉強したの?」そうは俺に尋ねた。
腕と腕が触れ合うくらい近い距離まで、俺とは近づいていた。
「あぁ」と短い返事。
「じゃあ大丈夫だね」と笑顔では言った。
手を伸ばしての髪に触れる。
何もしなくとも、の髪は俺の指からこぼれていく。
そっと口づけた。
は下を向いて黙ってしまった。
キスしたらいけなかったのだろうか。
今更、そう思う。今日は、なんだか後悔してばかりだ。

「ごめんな、邪魔して」
そう言って、俺は帰ろうとした。
一歩足を進めたけれど、二歩目は遮られた。
ぎゅっとおれの服のすそをつかむ手。
小さな手なのに強い力で俺をひきつける。
振り返れば、半笑いで「ごめん」というがいた。





「ごめん、なんか手が勝手に動いちゃって」

「別に、気にしてないから」

「あ、うん。今日は来てくれてありがと。ずっと待ってた?」

「や、そんなに」





は笑っていた。
多分、俺の嘘はばれているだろう。
1時間を、そんなに待っていない、というバカはいないから。
バイバイと言いながら手を振るの笑顔は、抜けるような青空のようにすかっとしていた。
後悔してばかりだったけれど、今日はここに来て本当によかった。











仁成と別れて私は家に入る。
仁成に会えただけで、エネルギーが充填できた。
眠たくなるまでしっかり勉強できそうだ。
ダイニングでは弟と母親が夕食をとっていた。
父親はまだ帰宅していない。
「なんかいいことあった?」と弟に訊かれたけれど、それは秘密だ。
仁成とキスして元気になったなんて、それは秘密。

明日の天気予報をチェックして部屋に入る。
机の上には世界史のノートを広げたまま。
明日は数学と英語のテスト。
ノートに数式を走らせる。
明日は晴れ。
それだけで、約束しなくても仁成に会えるような気がした。

会って、たくさん話をして、たくさん笑えるような気がした。










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テスト前、というしょぼい仮タイトルがついてたことはナイショ(笑)
イメージは1学期の期末テスト。
数学っつっても私の時代の数Vなんだけど。
カリキュラム削りすぎたら大学で絶対しわ寄せくるからやだな。

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