このベクトルの向きを変える方法なんて
 今の俺には思いつかない

 ただベクトルが大きくなるだけ





      [ ベ ク ト ル ]






家に帰って、大きく息を吐き出した。
冷蔵庫からスポーツドリンクのペットボトルを取り出して、口にする。
のどが潤っても、心まで潤うことなんてない。
いつも見ているから、すぐわかる。
あんなふうに切ない目で見つめていたら、
その人が好きなんだっていうことも、俺のことを好きじゃないということも。

「おはよう」と自然にあいさつしたつもりだったけれど、なんだかぎこちなかった。
は笑顔で「おはよう」と言ってくれた。
どんなに好きになっても、彼女は俺のことを好きにはなってくれない。
気持ちのベクトルの向きが違う。
俺の好きな人はで、の好きな人はまた別の人で、その人にも好きな人はいて。
その人の好きな人は、その人が好きで2人は付き合っている。
俺も、も、叶わぬ恋だとわかっていながら、好きでいることをやめられずにいる。
簡単にやめられるほど、軽い気持ちじゃないから。

「昨日ねー、山崎さんに会ったよ。高岩さんとアンちゃんと一緒だった」と、嬉しそうに話す
友達が混じっているとはいえ、好きな人がデート中で。
その場に居合わせたときは、かなり衝撃的だったと思う。
それでも、好きな人に会えたことが嬉しいのだ。
俺も、こうして好きな人が別の好きな人のことを話しているのを聞いていて、気分がいいとはいえない。
けれど、好きな人と話ができるだけで、嬉しいのだ。
が、俺の隣で笑ってくれるから、俺も毎日やっていける。

片想いなんてこんなもんだ。
両想いになりたいとは思うけれど、なれない。
けれど、ただ好きでいられることが幸せなんだ。

想いの風船がふくらんで、ふくらんで、破裂しそうになっても何もできない。
当然だ。奪う勇気なんてこれっぽっちもないし、奪おうとも思わない。
結局、叶わぬ恋だとわかっていながら、好きでいることをやめられず。
やめられるほど軽い気持ちじゃないって、自分がいちばんよくわかっているから。





休み時間。
担任の教師に呼び出されて、俺は職員室へ向かっていた。
廊下を歩いていると、前から男女が歩いてきた。
それは見慣れた顔で、けれど見慣れない組み合わせで、山崎さんとが楽しそうに話しながら歩いていたんだ。
胸が痛む。痛まないわけなんてない。
俺の好きな人が他の男の隣で笑っていることに対する嫉妬と、
報われない想いを抱えてそれでもその想いを捨てないに対する同情と。
想いのベクトルを動かして俺に向けてくれればいいのに。
そうすれば、俺が絶対幸せにしてやるのに。
なんて思っても、幸せにできる保障もないくて。単に俺が幸せになりたいだけで。
大きく息を吐いて、俺は職員室に駆け込んだ。





今日は部活が休みで、放課後、掃除当番の音楽室を掃除していた。
じゃんけんに負けて、俺はごみ捨て当番になり、青いゴミ袋を抱えてゴミ捨て場へ行った。
音楽室は校舎の4階の隅っこで、ゴミ捨て場は音楽室からいちばん遠いのだ。
往復して音楽教師に報告し、教室へ戻ると電気は消されて誰もいなかった。
俺は帰ろうとしてかばんのもち手をつかんだ。
その瞬間、ガラっと音がして教室の扉が開かれる。
目と目が合った。俺のと、のと。
の苦笑いが見えた。多分、誰もいない教室だと思って入って俺がいたから、笑う準備ができなかったんだ。





「まだ帰ってなかったの?」

「あぁ、音楽室の掃除でゴミ捨て行ってたから」

「なーんだ、私もおんなじ。じゃんけん負けちゃって、教室のゴミ捨てだったの」





ニコっと笑って幸せそうな顔をしていた。ゴミ捨て当番だとしても、好きな人に会えれば嬉しくなるものだ。
多分、山崎さんに会ったのだろう。の顔を見ればよくわかる。
「さっきね、山崎さんに会ったよ」なんて言葉をきけば、納得だ。





「山崎さんもゴミ捨てだったんだって。あと立花と渋谷さんと金本さんと東本と美加りんも。
 今日はバスケ部がゴミ捨ての日なのかもねー。ゴミ捨て場の前でみんな集合してて、不思議な感じだったよ」

「へぇ、あいつらもだったのか」

「うん!」

「ほんと、山崎さんのこと好きなんだな」





は隠しもせず、「うん」と大きく頷いた。
「だって好きなんだもん。彼女いたって、報われないってわかっていたって、好きな気持ちは変わんないよ」
そりゃそうだ。俺だって同じ気持ちだから。
報われたくないわけじゃない。けれど報われないことは変わらない。
「でも、報われたいって思っちゃうのは、悪いことなのかな」と震えた声が聞こえた。
俺は目線を床の木目からに移した。
自分の席に腰掛けたは、顔を手のひらで覆っていた。
表情はわからない、けれど声で泣いているのがわかる。
俺は慌ててに駆け寄った。
肩に手を置いたら、の震えが俺に伝わってきた。
ぎゅっと抱きしめたい衝動に駆られる。けれど、俺の理性がそれを止める。

言っちゃいけないとわかっていても、それは理性で止められなかった。
言うことで何かが変わると思っていたわけじゃない。





「俺も、報われない想い抱えてるから、よくわかる。報われたいって思うんだ。けど報われないんだよ」

「ひ、ひいらぎも?」

「あぁ。俺はが好きだ。でも俺は山崎さんじゃないから報われないんだ」

「あ、あたし・・・が好き?」





こくりと頷くと、は赤くなった目で俺をまじまじと見つめた。
驚いているようだ。それも当然か。そんな素振り、見せた覚えはないからな。
非常に困っているようだ。言うべきじゃなかったなと今更後悔する。
「あ、あたしは・・・」何か言いかけて、途中で声が消えた。考えがまとまらないのだろう。
俺は考えることを阻止する。
「報われたくて好きになったわけじゃない。もちろん報われたくないわけじゃない。
 けど、それはがいちばんよくわかるだろ?その人が好きでいられることが幸せなんだ」
話し終えると、は大きく頷いてくれた。

いつか、この想いのベクトルは動くと思う。
でも今は、俺はが好きでありたいし、も山崎さんを好きでありたいのだと思う。
ただ好きなんだ。たまたま相手が自分のことを好きになってくれないだけの話。









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難しい・・・アンケより、仁成さんに片想いされるお話。
報われないってわかってても想い続けるのは、私にはムリだ。
単純だもんなぁ。


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