[ 笑 っ て 、 も っ と も っ と ]






例えば、よく笑う子だなと思ったら実は無理して笑っていたりするんだ。





そういう人の表情というものに最近俺は気づいた。
自分の感情を常に押し殺していた時代は終わったからだろう。
分かり合える仲間と日々を過ごしているうちに、感情を表現することを学んだみたいだ。
面白いことがあったら大声をあげて笑う。笑うと気分がすかっとする。
辛いことがあれば、限界までがまんしてその後は無理せず涙を流す。
涙と一緒に悔しいこと、嫌なことは全部流してしまえる。

こういうことはみんながわかっているようで、全然わかっていない。
きっと、昔の俺みたいにまだわかっていない人もたくさんいると思う。
そういう人を見つけたら、俺の言葉で伝えたい。
感情がなくて、いいことなんてひとつもないと。

部活の途中、立花が行方不明になり、俺と代理で校内を探す。
校舎裏の暗がり、屋上、職員室、体育教官室、グラウンド、どこにも見当たらない。
俺は諦めて体育館へ戻ろうとしたけれど、
ふと、グラウンドから見上げた校舎の明かりの消えた教室の中に1つ明かりのついた教室を見つけた。
どう考えても俺の教室。ついでに1年2組の立花の教室でも見に行こうと思い、俺は校舎へ入る。
吹奏楽部は今日は休みだから、教室で楽器を演奏する音も聞こえず、教室に明かりが灯ることもない。
俺の足音だけが廊下にこだまする。
開け放たれた教室の後ろの扉、そこから顔だけ中に入れると、一番後ろの窓側から2列目の席に女が座っていた。
机の上にノートや教科書を広げ、右手にムーミンのシャープペンシルを持って、ただ前を、何も書かれていない黒板を見つめていた。
横顔のラインが綺麗で、不覚にも見惚れてしまった。
感情も何もない、無の状態でいる彼女。

どう声を掛けたらよいかわからなくてまごまごしていたら、何も無い場所でつまづいてしまい、支えにした扉が大きな音をたてた。
肩を震わせて彼女は驚く。
驚きの表情で俺を見て、瞬時に俺が何をしたのかわかったのか、口元を緩ませ次第に大声で笑う。





「あはは、はははは、柊くんがつまづいたー」

「悪かったな、何もない所でつまづいて」

「柊くんってオモシロいね、カタブツかと思ってたけど意外とよく笑うし」





休み時間に彼女が、が友達と楽しそうに笑っている姿はよく見かける。
楽しいこと以外なんてこの世にはないと思っているのではないかと、そう思えるくらいよく笑う。
けれど、さっきのあの顔、無の表情なんて簡単にできるものじゃない。
これが本当の顔だとしたら、きっと辛い思いを抱えているんだと思う。
誰にも言えないこと、1つや2つ、あったって不思議じゃない。

俺が来た瞬間に彼女はスイッチを切り替えた。
意図的に。
俺にはわかった。彼女は無意識のうちにじゃなくて、意図的に誰かといるときはスイッチをオンにして明るく振舞う。
誰もいなくなったら、スイッチはオフにする。電源は切ってしまう。消費エネルギーの節約だ。
はじめ、俺は、が教室で何をしているのかとか、俺が何しているのかとかとりとめもないことを話した。
は数学の宿題を教室でしていた。今日は小学生の妹の誕生日会らしく家にいたら集中できないからだとか。
もちろん、俺は立花捜索隊。1年2組へ向かってる途中で寄り道している。
それから、ズバリ訊いてみた。





「なぁ、どうしてスイッチの切り替えがそんなに早いんだ?」

「はぁ?スイッチ?何それ」

「さっき俺が来た瞬間、スイッチ入れて何か切り替えただろ?
 ずっと黒板見てただろ。
 あの時のは、無の表情にしか見えなかった。いつもあんなに明るく笑ってるとは思えねぇくらい」

「・・・・・・よく、わかったね。笑わなきゃ、やってられないの。
 笑って無理矢理気持ちを高めなくちゃ、すっごく不安になって怖いの」





理由なんてわからないけど、そんなの言葉が強く頭の中に残った。
また、俺はどう声を掛けたらよいかわからなくてまごついて。
視界を廊下に広げたとき、立花が隅に映って俺は本来の目的を思い出した。
慌ててに「立花がいたから、俺、行くな」と言って廊下を駆けた。
は、「いってらっしゃーい」とのんびりした笑顔で手を振ってくれた。
あの後、俺に見抜かれてはどう過ごしたのだろう。





翌日、朝練がなく俺はいつもより1時間遅く家を出た。
時間が1時間違えば電車の中で見る顔は全然違う。
駅から学校への道のりも、太陽の位置が違うせいで全く別のようだ。
横道から女子生徒が現れた。
ふと顔を見ると、だった。
俺は「おう」と手を挙げてあいさつする。
は、やはり俺を見た瞬間にスイッチを入れる。
そして、笑顔で「おはよう」と言うのだ。
一瞬、あいさつするまでに間があった。その間にスイッチを入れるのだろう。





「おはよう、柊くん。今日は朝練ないの?」

「今日はねぇんだよ。いつもこの時間?」

「うん、だいたいこの時間に行くよ。他のクラスの子にノート貸してたから取りに行ったの。
 だから、こんな横道から出てきたんだけど。風邪ひいたから今日休むって」





この笑顔も全部偽りだとしたら、何が真実なのだろう。
あの無の表情が真実だとしたら、どれほど彼女の心はすさんでる?





「笑ってるとね、気持ちいいの。見てる他の人も気持ちいいだろうし、私も気分がいいし。
 笑わないでいると、もう二度と笑えないんじゃないかって思うくらい落ち込むの。
 でも、ひとりでいると笑えないから、誰かに会うと瞬間的にスイッチ入るっていうか入れてる?」

「そんなにすさんでるってこと?」

「わからない。別に辛いこととかあったわけじゃないし。
 でも、笑うと救われるの。笑うってことがこの世になかったら、私は死んでるかもね」





クスクス笑いながらは言った。
この時だけは、無理に笑っている、笑顔を振りまいているという感じは受けなかった。
本当に、面白がっている。もしかしたら皮肉に思って自嘲しているのかもしれない。
は俺の隣で笑いながら話す。
俺も、それに耳を貸す。
本当にとりとめもない会話で、気が楽になる。

笑っていてマイナスになることなんてほとんどない。
泣いていたらマイナスになるばかりで何も得ない。
辛いことなんて、笑っていたらどうでもよくなる。
だから、無理にでも笑うんだ。
そうしたら、きっといつか本当に笑える日が来るから。
そう信じているから。

きっと、もそう思っているのだ。
だから、毎日こうやって誰かと一緒にいるときは笑っている。






「柊くんと話すとなんかすかっとする」

「すかっと?」

「うん、気持ちいい。・・・また何かあったら話してもいい?」

「あぁ」





昔の俺なら、きっと話してもつまらなかったと思う。
今の俺なら、話していて気持ちいいらしい。

芳川と堀井が俺達の横を通り過ぎていった。
そして、堀井が振り返ってニヤっと笑う。
芳川は堀井の隣で口元を緩めて笑っている。





「青春してるねぇ〜。柊に彼女いたんだ?」

「なんか、いい感じだよね」

「彼女じゃねぇって」





言いたい放題で、二人はスタスタと俺達と距離をおいていく。
呆れた顔をしていると、がぼそっと呟く。





「私だったら柊くんを彼氏にしたいかも」

「え?」

「だって、すっごく話しやすいし、私のことわかってくれてるんだもん」





この笑顔、ヤバイ。
俺の理性を狂わせるには十分だ。
もっと笑ってと頼んだら、俺の隣で笑ってくれるのだろうか。









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無理に笑うことってないですか?ないっすかね、普通。
笑うと嫌なこと、本当に忘れられます。
だから、おもしろいことがあったら大笑いします。
できるだけ大声で、ケラケラと。


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