[ Mr.ドーナッツ ]















いわゆるおとなしい子だから、きっと見向きもされないんだ。
名前だって覚えているかわからないよ。
私は目立たないから、苗字すらうろ覚えかもしれない。
本当に正反対。
高岩くんは、目立つしかっこいいし素敵だし、私にないものをたくさん持っている。
こんな私のことを、好きになるわけない。





教室の隅から、いつも見ているだけの私。
恋は女を美しくする?
そうとは限らないよ。
本人次第だから、私が恋をしていても何ら変化はない。
授業中、高岩くんの背中を追うだけの私は、進歩も退化もしないよ。





今日も、おとなしく真面目に授業を受けて、掃除をして帰るだけ。
部活をしない私は、ひたすらアルバイトに励んでいる。
お金を貯めて、どうする?何に使う?
頻繁に遊びに出かけるわけでもない。高価なものがほしいわけでもない。
意味のない生活に思える。





今日も家に帰ってアルバイトに行く。
夕方のファーストフード店は少し淋しい。
扉の外は暗い。
車のライトがびゅんびゅん過ぎていく。
笑顔を振りまいて、てきぱき仕事をこなして。
一生懸命やっていれば、なんでも報われる。
それなりの報酬を得られる。
報酬ってのは金銭的な意味でもあるし、精神的なものでもあるし。
多分、今日はいちばんの精神的報酬が得られたと思う。





急に忙しくなってお客様の列ができていた。
全員消化して、疲れきった顔を扉に向ける。
高岩くんが友達と一緒にいた。
もちろん、扉の前を通過するのではなく、扉をくぐってきた。
私はカウンターで硬直する。
緊張してうまく声が出ない。
「いらっしゃいませ」と言えただろうか。
高岩くんは、そんな私に気づいて声をかけてくれる。










「おお、さん。ここでバイトしてたんだなー」





「あ、うん。そうなの」





「へぇ、じゃあたくさん食ってくか」





「ありがとう」










言われたとおり、ドーナツをトレイにとって、コーヒーをカップに注いだ。
コーヒーの湯気が立ち上ぼる。
会計を済ませて、トレイを渡す。
「ありがとうございます」決まり文句をめいっぱいの笑顔で言う。
すると、高岩くんは「ありがとう」と笑顔で言ってくれるのだ。
連れのお友達も「ありがとう」と言って軽く頭を下げてくれる。多分、この人は高岩くんの後輩。
彼らが階段を上っていくのを見送って、私は盛大なため息をついた。
本日の大きな仕事でした。
顔がほてる。
笑顔をもらった。名前を呼んでくれた。「ありがとう」と言ってくれた。
嬉しくて発狂しそうだ。
隣にいる先輩がニヤニヤしている。





「さっきの男の子がさんの好きな人ね。イケメンじゃん」と小声で言う先輩。
ばればれだ。単純な私だもの。
「いい笑顔だったね」と先輩からお褒めの言葉をいただいた。
私は精一杯頑張った?頑張れた?
わからないけれど、先輩の褒め言葉は嬉しかった。
だから、私の精一杯のおもてなしは、高岩くんに伝わっていると信じたい。





コーヒーのおかわりは自由。だから私はコーヒーポットを持って2階席に上がる。
もちろん、先輩の差し金で。
他のお客様にコーヒーを出してから、高岩くんの席に向かう。
高岩くんは笑顔で私を迎え入れてくれた。





高岩くんがさしだしたカップにコーヒーを注ぐ。
黒い液体がカップを満たしていく。
私は仕事を終えてカウンターに戻ろうと足を進めた。
それを遮るように、高岩くんの声が聞こえた。










「さすがさんだよなぁ。仕事もできる女ってかっこよくない?」





「そんなことないよ。まだまだ先輩達には追いつけないもん」





「でも、さっき忙しかったのにちゃんと笑顔で接客しててさ、なんか感動した」





「感動だなんて、おおげさだよ。高岩くんのほうがもっとすごくてかっこいいし」





「どんなふうに?」










緊張の糸が切れてしまい、まくしたてるように語ってしまった。
後から気づいても遅い。
とても憧れる。それだけ最後に伝えて私は足を進めた。
後ろで高岩くんの後輩さんが「あれが噂の高岩さんの想い人?」と言っていた。
私が?まさか。そんなことはありえない。
でも、私の耳は都合のよい幻聴を聞かせるほど高機能ではない。
こっそり振り返ると、高岩くんが「バカ」と言って後輩さんを軽く叩いていた。
本当なのかな?だったらすごく嬉しい。
もっともっと頑張って、私のことを認めてもらおう。









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ドーナツが食べたい。
それだけです。
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