[ レモンみたいに甘酸っぱい ]





バスケット部のレギュラーになる前から、成瀬くんは密かな人気があった。物静かで顔立ちも綺麗で清潔感に溢れた好青年。一年生の頃から同じクラスで何かと話す機会が多かった私は、レギュラーになって人気が爆発した成瀬くんとは少し距離を置く、はずだった。けれどクラス委員の男女ペアになったり相変わらず接点は多い。
今年のバレンタインデーは日曜日だから、十二日の金曜日はバレンタインデーのプレゼントを渡そうとバスケット部専用体育館の周りは人で溢れかえっていた。教室でも成瀬くんの席には山のようにプレゼントが積まれていて、もらえない男子がこっそり盗んでいたりする。そもそも成瀬は全部食べきれないから欲しがっている人には配っていた。だから私も一年生だった去年は少しもらって家に帰っておいしくいただいている。
そして今年も同じようになるはずだったのだが、大半がチョコレートという大きな袋を四つも手に提げた成瀬と下校を共にしている。

「駅まで一つ持とうか? 大変でしょ?」
「助かる。軽いとはいえ、手が痛い」
「でもこんなに食べきれないでしょ? スポーツ用品もあるとは思うけどさ」
「チョコレートは子どものときに通っていた保育園に差し入れしてる」

意外だった。捨てることはないと思っていたけれど、小さい子が苦手そうな成瀬くんが保育園にチョコレートを持っていく姿はまったく想像できない。どうやら園児より保育士の先生たちの方が喜ぶらしいけれど。
保育園は成瀬くんの地元の駅の近くで、今夜はその駅から徒歩圏内の親戚宅に遊びに行く約束をしていたので、そのまま保育園までついていくことにした。園の外を歩いていると建物の中から手を振る男の子に気づいた。続々と園児が成瀬くんに向かって手を振る。チョコレートを成瀬くんが持ってきたことを彼らはわかっていて楽しみにしているのだ。

保育士さんが子どもたちに渡しても良いものか判断してから、まとめてテーブルの上に並べた。群がるように園児がチョコレートの箱を選ぶ中、最初に手を振った男の子はチョコレートに手を掛けずに成瀬くんのもとにやってきた。

「ぼく、ミミちゃんからチョコレートもらったよ。なるせのにーちゃんは、ちゃんと好きな子からチョコレートもらった?」
「もらってない」

これは成瀬ファンが聞いたら卒倒案件だ。恋愛には興味なさそうな印象を受けていたのに、成瀬くんには好きな人がいるのだ。そんなプライベートの話を高岩くんにしているとは思えない。無邪気な保育園児だからうっかり話してしまったのだろうか。それとも彼を勇気づけるための嘘……。

「どうして? ぼく、ちゃんとにーちゃんから言われたとおり、ミミちゃんにチョコレートほしいって言ったからもらえたよ」
「俺は言ってないからな」
「今からでも遅くないよ。ちゃんと言ってもらおうよ」

かがんで目線を合わせている成瀬くんの学ランの袖を、男の子は強く何度も引っ張る。引っ張りながら私に目を合わせる。私にも手伝えというのか。さすがに成瀬くんもそれには戸惑いを隠せないといった表情をしている。かといって私に助け舟を出せる程の器量はない。ごめん、成瀬くん。

「な、成瀬くんはチョコレート好きじゃないからね、欲しいっていうわけないし、もらっても嬉しくないんじゃないかな」
「そんなことない! もらいたいって言ってた。ぼくだけもらってもうれしくない。にーちゃんにも好きな子からチョコレートとか何かもらってほしい!」

成瀬くんも大変だな。なんて思っていたら、彼は私の手の指先をすっと掴み立ち上がる。一緒にかがんでいた私も立ち上がると成瀬くんと目が合った。逸らしたらいけないと思ったのは、いつも以上に彼の真剣な眼差しを感じたから、逸らせなかったのだ。

「俺はのことが好きだ。でもチョコレートが欲しいわけでもないし、付き合うつもりもない。俺にはバスケットがあるから。ただ、今まで通りクラスで話したり、登下校が重なったら一緒に帰ったり、そんな風に友達でいられたらいいと思ってる」
「あの、成瀬、くん……?」

とても男の子を勇気づけるための嘘には思えなかった。成瀬くんの好きな人が私だなんて嘘みたい。ただの仲良しだと思っていた。私の一方通行の想いは伝わることもなく、高校を卒業して違う大学に進学して接点はなくなり、次の恋を探すと思っていた。
「これからも、友達として仲良くしてほしい」
悲しげで、儚い声。でも優しさがほんの少し含まれている気がした。頷けば男の子が私のスカートの裾を軽く引っ張る。

「にーちゃんの分のチョコレート、ないの?」
「ごめんね、ないの。……のど飴ならあるかな」

鞄の中に常備しているビタミンC摂取ができるのど飴を三粒見つけ、成瀬くんの手のひらに載せると男の子は嬉しそうに笑って去っていった。

「ホワイトデーは三倍返しするよ」
「九個?」
「はは、そうだな」

成瀬くんは笑ってのど飴を手のひらの上で転がした。


* * * * * * * * * *

私の得意な中途半端な話!
大人な成瀬くんが小さな子の恋愛相談に乗ってあげていたらいいなと思って書きました。 高岩さん相手にはきっと相談しないけど、小さな子相手なら言ってしまいそうだな、とか。
子どもは純粋だから、一緒に来たヒロインが成瀬のにーちゃんの好きな人なんだってすぐわかってしまったり。


inserted by FC2 system