[ 一歩を踏み出す勇気 ]





は何も言わなかった。
ただ、黙って扉を閉め、鍵を掛け、俺の顔を一瞬だけ見て、真っ直ぐ廊下を歩いていく。
俺はの背中を見つめていた。
声をかけることができなかった。
職員室の前で、は立ち止まり、振り返って俺に「ちょっと待っててね」と声を掛ける。
俺は、何も言わずただ頷いた。

廊下の壁にもたれかかっていると、側の窓を外から叩く音がする。
不審に思い顔をそちらに向けると、さっきの女子生徒たちがいた。
窓を開けてとジェスチャーで伝えている。
鍵をはずし、窓を少し開く。


「私たちは成瀬くんのファンだからさ、何でも頑張って欲しいの」
「何でも?」
「そう。バスケットも勉強もそれ以外も。
 成瀬くんとさんは仲よさそうだから、一人で勉強していたさんに
 成瀬くんのオモシロ話を聞かせてもらおうと思ったんだけど、なんだか拗ねちゃって」
「拗ねた? が?」
「うん。私たちが成瀬くんのファンだって公言していて、それが気に食わないのかもね」
「それは、どういう意味だ?」
「言ってもいいけど、それだとつまんないよ? じゃあね」


丁寧に窓を閉め、連中はこちらに手を振って去っていく。
窓に鍵を掛けると、職員室からが出てきた。


「お待たせ」
「ああ、帰ろう」
「うん」


この後、肩を並べて学校を出るのだが、何も話せなかった。
ただ、隣にいることだけ感じた。
拗ねた理由は? 帰ろうとせず、まだ残ると言った真意は?
尋ねたいことはたくさんあるのに、何も訊けない。
何を躊躇しているのだろう。


「何か、気に障ること、言ったか」
「えっ?」
「俺が、を不機嫌にさせるようなこと、したか? さっき、手を掴んだのが嫌だったか?」
「ううん、全然、嫌じゃないよ」
「それなら、どうして、何も話さないんだ?」
「彼女たちが、成瀬くんのファンだって言って成瀬くんの机をベタベタ触ったり、
 成瀬くんのことを根掘り葉掘り私に訊こうとするのが気にいらなかっただけ」
「そうか」
「うん、子供でしょ、私。成瀬くんのこと独り占めできると思ってた。
 でも、成瀬くんはみんなから愛されてるから、そんなこと絶対できないんだって気付いた。自分がみっともないなって思っただけ」

の声が、少し震えている気がする。
は片手で口元を押さえていた。


「話したらすっきりしたか?」
「うーん、どうかな」
「そうか」


が鼻をすすっている。
泣かせてしまったかな。
の手をぎゅっと握って歩く速度を上げる。


「早く帰ろう。今日は寒い」
「うん、ありがとう」


今日は言えない。
心の整理をして、明日になったら言う。絶対。
俺はが好きだから、独り占めしてくれたって構わないって。






From 確かに恋だった
微妙な距離のふたりに5題【5.一歩を踏み出す勇気】


**************************************************

いえーい、中途半端大好き!
反省しませんね、何年経っても私は。
普段強い子が弱ってるとキュンとしちゃうね。

女子生徒たちは、成瀬くんがヒロインのことが好きだと確信して、
二人の恋を応援しようと思ったのでした。

inserted by FC2 system