[ この愛以外に何が光るの ]





 カウンターキッチンで夕食の支度をしていると、ふとキャビネットの上に無造作に置かれた紙袋が目に入った。視界に入れないようにしていたはずなのに、手をとめてそれを見つめてしまう。ならば見えないところに仕舞えばいい。それができなかった。プロポーズの返事をしていない私は、あの紙袋の中の婚約指輪をはめられずにいる。押し付けられて持ち帰った。
 恋人はサンタクロースではないが、神羅カンパニーの社長。私はただのOL。モデルや社長令嬢から引く手あまただろうに、なぜルーファウスは一般市民の私を選んだのだろうか。
 初めて声を掛けられた時は驚き、慄き、言葉を発することができなかった。それからルーファウスのアプローチ攻撃に屈した私は、恋人として交際することになったのだが、冷徹という噂とは真逆の彼の優しさにあっさり絆されてしまった。
 切った野菜とウインナー、コンソメを鍋に入れて煮込む。夕食は至って普通のポトフ。パン屋で見かけた季節限定のキッシュと、いい匂いがするクロワッサンを一緒に食べるのが楽しみで仕方がない。ワイングラスにルーファウスが置いていった赤ワインを注ぎ、ダイニングでくつろいでいるとインターホンが鳴り自室へ誰かが訪問したことを告げる。モニターごしに見た来訪者は、コートに付いたフードを目深に被っていて鼻から下しか見えない。すっと通った鼻筋は嫌と言うほど見覚えがあるし、形の良い口がすっと開いて奏でる音には痺れてしまう。ただ名乗っただけだというのに。
「どうぞ」とオートロックを開錠し、数分後に玄関のインターホンが鳴らされ、玄関の鍵をはずして扉を開くとするりとルーファウスが部屋に上がり込む。ダイニングのテーブルの上を一瞥し、食器棚からワイングラスを持ち出した。赤ワインを注ぎ、ソファに体を沈める。
「急にどうしたの?」
の顔が見たくなっただけだ」
「たしかに、会うのは久しぶりだけど」
「プロポーズして以来、だな」
 会うのを避けていたわけではない。けれどプロポーズの返事をしなければならないという強迫観念に駆られる。ルーファウスは返事をくれと明言してはいないが、自宅まで訪れたのは返事を欲しているからだろう。
 ただ私は、返事を考えていない。少なくとも結婚に同意する気はない。
 ルーファウスは夕食を取る私の隣で、黙ってワインを飲む。居心地が悪くて、ポトフは味がしなかった。楽しみにしていたキッシュとクロワッサンも、味わうことができなかった。溜息をついてから空になった食器を流し台に運ぶ。食器を洗っていると、ルーファウスがキャビネットの上の婚約指輪の入った紙袋を手にしていた。持って帰ってくれればいいのに。私の願いが通じたのか、紙袋をキャビネットの上から持ち去ってくれた。
 洗った食器を拭いて食器棚へ片づけて終えたところで、背後から抱きしめられた。食器棚を閉じる手が止まる。ルーファウスは私の左手を取り、薬指を撫でる。ルーファウスの右の掌には、紙袋の中の婚約指輪が載っていた。
「私は、プロポーズの返事が欲しいのだが」
「それは……」
「イエスかノー、それだけだ。今の気持ちを素直に伝えてくれればいい」
「今の私は、ノーしか言えない」
「わかった、それでいい」
 ルーファウスは私を離して指輪を片付ける。そのまま帰る気はないらしく、再びソファに身を沈めた。ハンドクリームを手の甲につけ、塗り込みながら彼の隣に腰掛けると、即座に肩を抱かれた。
 好きだからから恋人という立ち位置にいるけれど、結婚を考えるには至れない。それは彼の身分が問題だった。神羅カンパニーの社長なのだから、結婚すれば自動的に社長夫人になる。とても私に務まるとは思えないし、私は私のままでいたい。ルーファウスは覚悟を決めて私のプロポーズをしたはずだ。私はその覚悟を踏みにじった。謝らずにはいられない。
が謝る必要はない。そのほうが、惨めだ」
「ごめんなさい。本当にルーファウスは素敵な人だけれど……私は社長夫人にはなれない」
「私はに社長夫人になることを望んでいるわけではない。ただ私と結婚してくれればいい」
「世間はそれを認めないでしょ。結婚したいのなら、私のことは忘れて社長夫人になってくれる人を捜して」
「それはできない相談だ。私はとだから結婚したいと思ったのだ。初めて会った時から、ずっと……運命を感じていた」
 なぜだか左手の薬指に婚約指輪をはめようとするルーファウスを拒絶できなかった。黙って指輪が薬指の付け根で止まるのを見ていた。小さなダイヤモンドがきらりと光ったが、視界はルーファウスの口づけによって遮られた。



 ルーファウスからプロポーズを受けて一年近く経った。私はまだ『イエス』と返事をできないでいる。ルーファウスはそんな私に愛想を尽かさず、かといって、結婚を迫ることもなく、今まで通り恋人であり続けてくれる。私の誕生日を祝うために、ルーファウスは彼の自宅に招待してくれた。世界の大企業の社長のもてなしは、何から何まで文句のつけようがなかった。
 そろそろ潮時かな。二人でホームシアターを楽しんでいる最中、鞄の中から婚約指輪を取り出し、ルーファウスの掌に載せた。彼は黙って指輪を見ていた。私は笑顔で囁く。
「一年前のプロポーズの返事がしたいの」
「ノーと返事をもらったが」
「私にもう一度プロポーズする気はない?」
 少し間をおいて、ルーファウスはほくそ笑む。
「姫の仰せのままに」









お題はalkalismさんからお借りしました。
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久しぶりに社長のまじめな話を書きたくなって、でも思いつかなくて悩んでいるときはお題サイトさんに限りますね。 ふと目に入ったお題で社長のプロポーズ話が思いつきました。
全然プロポーズのシーンないけどね。

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