[ 菫 (スミレ)]





タークスの雑用係である私にできることは、資料の整理、お茶汲み、コピーとり、電話番。
みんなのように任務につくことはできないけれど、みんなのサポートができて幸せだ。
何より幸せなのは、憧れのルーファウス社長ともお話しできること。
神羅の軍事学校に進んだのは、社長がいたからこそ。
タークスに配属されたものの、体調を崩してしまい任務にはつけなくなったけれど、
タークスに配属されるだけの実力を認められて、今はタークス専属雑用係として給料をもらっている。



「おい、。俺のスーツがクリーニングから戻ってきてないぞ、と」
「レノさん、自分で取りに行ってくださいよ。
 総務のフロアに届いてるんですが、あいにく社長に呼ばれているので行けないんですー」



ふてくされる先輩をなだめて、私は大急ぎで社長室へ向かう。
社長秘書がいるのに、タークス雑用係の方がお気に召したらしく、頻繁に呼ばれるのだ。
嬉しいことこの上なし。
社長室の扉をノックすると返事があったので、私はそっと中へ入る。



「お呼びでしょうか、社長」
「ああ、。コーヒーを淹れてくれ」
「承知いたしました。お電話頂いた時にお申しつけくださればよかったのに」
「いや……」



私は腑に落ちず首をかしげた。考えたところでどうしようもないので、放っておくことにした。
社長に会えることが私の幸せ。社長に名前を呼んでもらえることが私の幸せ。
コーヒーを用意するために社長室を一旦出た。また会いにいけることが嬉しかった。
この気持ちを誰かに打ち明けてしまえば、きっと異動させられる。
だから、誰にも言えない。
誰にも言わない。

インスタントコーヒーの粉末をマグカップに入れ、お湯を注ぐだけの簡単な仕事。
スプーンでコーヒーを混ぜていると、給湯室へレノが顔を出す。



「社長のコーヒー?」
「そうです。コーヒーほしいのなら電話で言えばいいのに」
「男心は複雑だからな」
「は?」
「鈍感女には苦労するって話」
「は?」



レノは愉快そうに笑っている。
私は理解に苦しむので不愉快だ。
トレイにマグカップと買い置きのマフィンを載せて、私は社長室へ向かう。
社長はLOVELESS通りで売っているマフィンが大好きなのだ。
かわいらしくてしかたがない。
庶民的の味なのに、神羅カンパニーの社長が好きだなんて信じられない。
けれど、私も好きな味。
一緒に味わうことはできなくとも、同じ社内で同じものを食べられるなんて幸せだ。

再び社長室の扉をノックする。
胸が締め付けられる。
好きな人に会うときは緊張する。それは小さい頃から変わらない。
緊張してうまく話せなくなる。
だから、扉を開く前に笑顔の練習をする。
扉に向かってスマイルひとつ。



「社長、コーヒーお持ちしました。あと、マフィンも」
「すまない。ありがとう」
「今日は外出されないのですか?」
「私に出ていってほしいのかな、は?」
「とんでもないことです!いつもはこの時間に呼ばれないから、外出されてるのかなと思ったのです」
「そうか」



デスクの上にマグカップとマフィンを載せた小皿を置き、私は退室する。
扉の前で一礼し、顔を上げるたら社長と目が合った。
驚いて、目を逸らしてしまう。
顔から火が出そうになり、大慌てで社長室から飛び出した。
扉を背にして、呼吸を整える。
いつもより早いペースで脈打つ。
トレイで軽く額を打った。
パンと乾いた音がエレベーターホールに響く。

事務所に戻れば、タークスの面々は皆任務につき誰もいなかった。
自分の机の上に積まれた資料を見て、盛大な溜息が漏れた。
イリーナのかわいらしい手書きの資料、レノの描いた雑な図、それらをデジタル加工するのが私の役目。
紅茶を淹れ、社長と同じマフィンを片手にパソコンと向き合う。
マフィンをかじれば、シナモンの甘い匂いに包まれる。
噛めば噛むほど、甘さが口の中に広がる。
この瞬間が幸せだ。



「おいしい」
「当然だ」
「しゃ、社長!?」



自分ひとりしかいないはずの事務所に響くテノールの声。
振り返れば、入口に社長が立っている。
私はぽかんと大きな口を開け、喉を乾燥させてしまった。急に咳き込む。
慌てて紅茶を一口飲んだ。
社長は優雅に微笑んだ。冷笑なんかではない。とても優しい笑み。
心臓が止まるかと思った。
実際、一瞬止まったかもしれない。
腰が抜けた私は、椅子に座っていたのにも関わらず、ずるずると椅子から滑り落ちた。
床にしゃがみこんだ私の目の前に差し出されたのは、社長の綺麗な手。



「大丈夫か」
「は、はい。腰が抜けた」
「どうして?」
「さ、さぁ、私にもよくわかりません」
「面白いな、は」



恐る恐る社長の手に自分の手を重ねた。
ひんやりする手だった。
その手が私の手を包み込むように掴み、引き上げてくれる。
そして私の手を離すと、食べかけのマフィンへその手は伸びた。
私が口をつけたマフィンを、社長が一口かじる。
間接キス!?



「このマフィンは好きだな」
「コーヒーと一緒にお持ちしたじゃないですか」
が口をつけたからこそ」
「え?」
が好きなマフィンだから、私も好きなのだよ」



涼しげに笑う社長と、軽くパニックを起こして冷静さを失っている私。
「小さな幸せだな、このマフィンは」と社長は言い放って事務所から出て行った。







スミレ:小さな幸せ

From 恋したくなるお題 (配布) 花言葉のお題1


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マフィン大好き!作るのも食べるのも。
小さな幸せを積み重ねて、大きな幸せにしたい。


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