[ フ ァ イ ン ブ レ ン ド ]





別に、嫌いじゃない。
だから、黙って目を閉じて、社長の口付けを受け入れた。
けれど、社長とどうにかなろうなんて思っていない。
セクハラとパワハラに抵抗がない若社長なだけだもの。

好きな人なんていやしない。
いたら確実に拒絶している。
完全に塞がった左手の切り傷を眺めながら、事務所の椅子に座って足をぶらぶら揺らした。
時々社内で見かけるけれど、あれ以来、声を掛けられていないな。
押してだめなら引いてみろってやつかな。

両腕を天井に向けて伸ばす。
今日は一日中事務作業をしていたから、任務につくよりも肩や背中が痛い。

ルードとイリーナは任務中。ツォンさんは会議。レノは有給休暇。
他のスタッフも早々に帰宅してしまい、事務所は私一人だけ。
静かで集中できるのだけれど、定時を過ぎているから疲れてだらけてきた。

疲れた目を休めようとして目を閉じた。
パタと扉が静かに閉まる音が聞こえた。
ツォンさんが会議から戻ってきたのだろう。
お疲れ様ですと声を掛けようと思ったけれど、疲れていたからそのまま目を閉じていた。
気配が自分の元へ近づき止まった。
急いで目を開くと、無表情の社長が立っているものだから、椅子から飛び降りた。



「しゃ、ちょう!」
「おはよう」
「お、おはようございます。すみません、目が疲れまして」
「今日は帰りたまえ。疲れているなら効率が悪い」
「でも、ツォンさんが会議中ですし」
「私が許す」
「はぁ…」



社長に許可されようが、仕事が終わらない以上帰れない。
私は社長の存在を無視して仕事の続きにとりかかった。
すると、意外なことに社長はあっさり事務所から出て行った。
私は首をかしげて、スリープ状態のパソコンを起動させた。

かすかに時計の秒針が時を刻む音が聞こえる程度で、私がキーボードをたたく音以外はあまりなにも聞こえない。
静かだ。
心が穏やかになる。
紅茶が飲みたくなる。
立ち上がって給湯室に向かうと、その場に似つかわしくない人がいた。



「社長、コーヒーなら私がいれるのに」
「いや、私が飲むわけではない」
「お客様ですか?尚更ですよ」
「飲むのはだ」



社長はいつもの表情で私を見てマグカップを差し出した。
紅茶のいい香りがする。
私は小声でお礼を言い、受け取った紅茶を一口飲んだ。
上司にお茶をいれさせるとは何事だ。
肩を落として事務所に戻った。
まだツォンさんは戻っていない。

紅茶がおいしくて泣きそうになった。
こんなにうまくお茶を入れられるなんて、社長は完璧すぎる。
私が愚図すぎる。
どう考えても釣り合うわけないじゃない。

革靴と床が触れ、カツカツと音が鳴る。
私の靴ではなく、社長の靴。
私の隣の席、イリーナの椅子を引き、社長はそこにゆっくり腰かけた。
しばらく沈黙が続き、それを打破しようと口を開きかけたところで、社長の方が先に話し始めた。




「はい」
「真面目な話だ」
「はい」
「私は、の疲れた顔は見たくない。笑った顔が見たい」



それは、ここから消え去れという意味だろうか。
違う。私のために紅茶を入れてくれるくらいだから、それはない。
私に笑えと、紅茶を入れた礼に笑顔をくれというのだろうか。
微笑もうとした。
けれど、疲れていてうまく笑えない。



「申し訳ありません。うまく、笑えない、です」
「疲れているのだろう?今日はそれを飲んだら帰りなさい。ツォンが戻るまで、私がここにいよう」
「いえ、そういうわけにはいきません!」
「それは私が社長だからか?肩書きを取り払って、私のことを見ればよい」
「・・・それは、できません」
「嫌がっても私のことしか見れないようにさせてやりたいな」



社長は目を細めて微笑んだ。
微笑むと、とても柔らかい表情になる。
冷徹な社長だけれど、こういう一面もあるのだ。
あとは、セクハラ、パワハラに遠慮がないところ。
全部、私しか知らないことなのだろうな。

社長の手が、私の髪に触れた。
するすると、社長の指の間をすりぬける髪。
社長の手が、私の頬に触れた。
伝わる体温。温かい。
もう片方の手も、頬に触れる。
私の顔は、社長の手に挟まれ、サンドウィッチ状態。
視線を床に落とした。
「好きだ」と聞こえて目を見開いた。
顔を少しあげると、社長と目があった。
目を逸らすことができない。
あの時と同じように、ストップの魔法でも掛けられたように、動くことができない。



「私は、に好意を持っている。存分に愛したい」
「他の人にしてください。社長に釣り合う女性なら、あまたの数いるでしょうに」
「私は、がよいのだ。でなくては嫌だ」
「わがまま」
「私以上の男がどこにいる?」
「レノのほうがマシよ」
「ほう、そうか。ならばレノに一発贈らねばならない」




社長は携帯電話でレノに連絡をとろうとするものだから、私は慌てて止めた。
立ち上がって事務所の外へ向かおうとする社長の腕を掴む。
体がくるっと回転し、顔は何かにぶつかった。
顔をあげると、そこには社長の顔があって、驚く間もなく背中に腕が回されてがっちり拘束される。



「しゃ、ちょう?」
「私はレノにを渡したくない」
「私は誰のものでもありません」
「私は・・・」
「社長?」
に関して妥協はしたくない」
「少し妥協してください」
「嫌だと言ったら」
「何度でも逃げますから」
「何度でも捕まえてやる」
「勝手にどうぞ」



暴れたところで社長の腕の中から逃げ出すことができないのはわかっていた。
大人しく会話していた。
するとどうだろう。さっきまで疲れていて笑えなかったのに、クスクス笑っている自分がいる。
社長が、私をコントロールしている?

改めて考えると、社長と軽口をたたきあった後は疲れていることがなかった。
どちらかというと元気になっている。
この人と一緒にいるのは、私にとってプラスなのかもしれない。
目を閉じて、社長の胸に頭を預けた。
社長の腕の中は居心地が良かった。










**************************************************

アンケートで続きが気になるというお声を聞いたので。
もう一発続く、かな。
軽口をたたける相手というのは、心を開ける相手なのだと思う。

以下、ツォンさんおまけ。










(ったく、定時過ぎてから会議始めるな)
(きっとは俺が戻るまで残っているだろうな。早く帰らせてやろう)
、遅くなってすまな…」
「うるさいぞ、ツォン」
(社長とが…あれほど嫌がっていたが…)
(天変地異の前触れか!?)
(はぁ、これでになついているレノとイリーナが鬱陶しいことになるな。あぁ胃がキリキリしてきた)

inserted by FC2 system