[ 重なったのは痛みだけ(チョコレートは赤への片道切符3) ]





アバランチが魔晄炉を狙って襲撃を繰り返す日々が続き、レノさんとの連絡は途絶えがちになった。このまま自然消滅するのもありかなと思っていれば、早番で早めに眠った日に限って深夜にレノさんからメールが届いていた。朝からメールを見る気にはなれなくて菓子パンと紅茶を口の中に放り込んで、十五分の簡単メイクに髪の毛はヘアブラシで梳かすだけの支度。着るものは前日に用意した黒のサルエルパンツに春を先取りしたシフォンブラウスにロングニットを羽織って出勤する。そしてすっかりレノさんからのメールのことを忘れてしまった。

昼休みに入り同僚と近所のカフェでランチをしてセットのデザートに舌鼓を打っていると、珍しく携帯電話が通話の着信を知らせるがランチタイムなので相手を確認せずに全力で無視する。鞄の中で振動する携帯電話を気にするのは同僚であって私ではない。いいのいいの、用があれば普通の人は留守番電話にメッセージを残すでしょう? それから折り返せばいいの。今は同僚とのランチタイムを楽しみたい。

「レノさんだったらどうすんの? まだ付き合ってるんでしょ?」
「ないない、あの人電話してこないよ。フリーダイヤルの勧誘とかだよきっと。そろそろ戻らないといけないかな」

腕時計を見れば昼休みは残すところあと十分。少しのんびり食事しすぎたようだ。慌てて店員を呼び止めて支払いを済ませ、カフェを出たら小走りで神羅ビルへ戻る。歯磨きする時間がないのは仕方がないこと。総務課のフロアへ戻ってパソコンに向かえば新着メールが大量に溜まっていた。
送り主はすべてレノさんで、件名、本文ともに何もない。普通、迷惑メールに振り分けられるのでは?
息を呑んで鞄の中の携帯電話を恐る恐る手に取ると、着信履歴に残っていたのはフリーダイヤルではなく連絡先を登録したレノさんの名前が表示されていた。歯磨きのついでにフロアから出てエレベータに乗りリフレッシュルームに向かう。昼休みは部署によって取る時間が異なるのでまだ昼休み中の社員が寛いだり世間話に花を咲かせている。窓際の人が少ない席に浅く腰掛け、レノさんへ通話するボタンを押す。携帯電話を耳に当ててコール音が一回聞こえただけでレノさんと繋がった。怒りを笑顔のオブラートで包んだような、深い声だった。

「俺の電話を無視するとは、いい度胸だぞ、と。メールの返事もないから心配した」
「ごめんなさい。あっ、メール読んでない! 会社のいたずらメールだけは見ました」
「携帯に送ったメール読んで。それだけ伝えたかった。じゃあな」
「わかりました。通話切ったらすぐ読みますね」

知らなかったのは私だけか? みんな、私に隠しているのか? これは企業秘密か? 情報なんて自分自身が把握した時点ですべて流出しているというのは嘘なのか? 私のところにこんな大事な情報が流れてこないじゃないか!
レノさんはアバランチとの戦闘で利き手をやけどして日常生活に支障をきたしているらしい。レノさんの家で身の回りの世話をしてほしいという内容のメールだった。そんな大事なメールを、私は朝の慌ただしさや同僚とのランチを優先して放置した。レノさんは家できっと苦しんでいるというのに。
ということは、情報流出の具合からして、それほど重傷ではないのではないのだろう。と後悔の気持ちをごみ箱に捨てて切り替えた。
折り返し通話すると、呆れた声が私の名を呼ぶ。

、ようやく俺の状態がわかったか、と」
「ごめんなさい。今はどんな具合ですか?」
「そこまで困ってないぞ、と。飯をルードに食わせてもらうのは地獄絵図だろうけど、生きるためには仕方がないからな」
「イリーナさんは来てくださらないのですか?」
「こっちから願い下げだ。家をぶち壊しそうだぞ、と。仕事あがったら夜来てくれないか?」

メールに書かれた住所は神羅社員が多く住まうミッドガルの住宅街。こんな身近なところにタークスも暮らしているのかと驚きつつ、マンション名が幽霊マンションで有名だったので恐怖で寒気がする。幽霊の犯人はレノさんではないのか。髪の毛を束ねずにおろせば赤毛の幽霊の完成だ。

手ぶらで構わないというので、十八時定時きっちりに仕事を切り上げ、明日に回した仕事量にうんざりしながらもレノさんが住まう幽霊マンションに向かう。前を通ったことはあるけれど、人の出入りを見たことは一度もなく、実態は高級マンションだろうなくらいの軽い気持ちで向かえば、実質その通りの高級マンションだった。魔晄の節約のせいだろうか、照明が控えめなところが幽霊マンションと称される所以だろう。

指定された部屋番号と呼び出しボタンを押せば、カメラの向こうでレノさんが無言でオートロックの扉を解錠してくれた。エレベーターで最上階のレノさんの部屋に向かい、扉の隣のインターホンで呼び出せば、上下の鍵を開く音と共にドアノブが動いて扉が開いた。右手を包帯で覆っただけではなく、頬にもガーゼが貼られている。半分くらい怪我をしたのは冗談だと思っていたけれど、一応怪我をしたというのは事実だったようだ。それでも、私のことを弄んで楽しんでいるようにしか思えない。今日だって、恋人という肩書だけの私をハウスキーパー代わりにするために呼びつけて、たまりにたまった家中の汚れを落とさせる気だ。

高級マンションだけあって玄関も広いし廊下の幅だって広い。リビングに置かれた大画面のテレビは神羅カンパニーの情報番組が流れている。ソファに腰掛けたレノさんはテーブルの上を指差す。

「食い物はデリバリーでなんとかなるんだけどな、利き手が使えなきゃ食いづらくて」
「はぁ……食べさせろということですか?」
「そう、ものわかりがよくて助かるぞ、と」

満面の笑みを私に向けるレノさんに、少しだけほんのちょっぴり、微量の惚れ薬でも飲んだかのようにときめいて顔がじわじわと熱くなる。オムライスなら利き手でなくてもスプーンで頑張れば食べられそうなものだけれど、レノさんは私がスプーンですくって口元に運ばないと食べようとしない。今日はあーんしてもらうプレイを楽しむ日なんだな。タークスって意外と暇なんだな、いや、怪我していて暇を持て余しているだけだ。

「お前も晩飯これからなら、食えよ」と言われて、レノさんは片手で器用にピザの入った箱を開く。ピザはひとりで食べられるらしい。一人前のピザをふたりで食べればすぐに箱は空になる。片づけをしようと立ち上がったところで、どうしてだか私は足を滑らせて転んだ。転んだだけならまだしも、ソファで寛ぐレノさんに抱き着くように体が浮いてしまい避けようとしてレノさんの包帯が巻かれた手の上に着地してしまった。
「痛ってえ!」と声を上げて顔をしかめたレノさんを「大袈裟だなぁ」と笑えば、空気が冷たく肌が凍傷でも起こしかけたかのようにひりひりして寒気がする。慌ててレノさんから離れて謝罪するも、レノさんは不機嫌極まりないといった表情でこちらを見ている。

「気を付けろよ。やけどしたって言っただろ」
「ごめんなさい。でも、ちょっと大袈裟じゃないですか?」
「痛ぇんだけど、すごく。お前、もしかして俺が怪我したのが嘘だと思ってるのか、と。この包帯も、ガーゼもお前を揶揄うためにやってるとでも?」
「あの、はい、ちょっと、そうだと思いました。今日は、私にあーんしてもらうプレイを楽しむ日なんだとか、家の掃除させる気なんだろうなって」
「あーあ、そうか、そうかよ、そうだよな。最初からわかってたんだけどな、絆されてくれないかと期待した俺が悪かったぞ、と」

レノさんは立ち上がってこれまた大袈裟なくらい足音を大きく立てて冷蔵庫から白い箱の入った袋を取り出し私の前に差し出す。

「これ持って帰れ。付き合ってたのもなかったことにしろよ、と」
「なんで……」
「総務課の罰ゲームでタークスの誰かにチョコレート持って告白してこいって言われたんだろ。知ってるぞ、と。当たり障りがないルードを相手に選んだのに、そこに割り込んだのは俺だ。俺はのことが好きだからと接点が持ちたかった。俺はと一緒にいられて楽しかったけど、には苦痛しかなかったよな。本当に、ごめんな」

レノさんに背中を押されて玄関から追い出された。扉は鍵がすぐに掛けられてノックしてもドアノブを動かしても、インターホンを鳴らしても反応はなかった。携帯電話で通話を試みたけれど電源を切られてしまい連絡はできなかった。扉の隔てた向こうにレノさんがいるのはわかっているのに、レノさんは手が届かないくらい遠いところにいってしまった。

レノさん、本気で私のこと好きなの? どうして、接点のない私のことを好きになったの? レノさんは本気で私と付き合いたかったの? 私は付き合っているフリで社会勉強と思っていたけれど、それでもレノさんは楽しかっただなんて、私は酷いことしかしていない。

レノさんから受け取った白い箱は冷蔵庫から出したばかりで冷えている。箱に貼られたシールに書かれているのは「本日中にお召し上がり下さい」のメッセージ。爪でシールを剥がして箱を開くとティラミスとショートケーキが入っていた。デザートに食べるつもりだったのだろうか。ショートケーキはレノさんが食べるものだとしたら、私はレノさんのことを何も知らない。
レノさんは私にとてもよくしてくれた、それは下心があったからかもしれないけれど、私はレノさんの好きなケーキがショートケーキだなんて知らない。

情報なんて自分自身が把握した時点ですべて流出しているなんて、嘘だ。



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レノの好きなケーキに一番悩んで、ショートケーキにしました。多分、苺から食うだろうな。
次回で完結です。


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