[ 平たい雨を抱いたまま ]





 急な雨に濡れて朝のヘアセットが無駄になった。傘は強風で折れて使い物にならなくなったので捨てたいけれど、捨てる場所がなくて握ったまま。開店前の店舗の軒先で雨宿りをする。蒸し暑いのは変わらないのに濡れた腕のせいで体が冷えてきた。自分で自分を抱きしめるように二の腕をさする。
 同じように急な雨を避けるために軒先の住人が一人増えた。長い赤毛を後ろで一つに束ねたその男性は、タークスのレノさんということは有名だ。長めの横髪から雨水が滴り落ちてひどく色っぽく感じる。
 あまりにも見ていたせいか、レノさんはこちらを怪訝そうな顔で見る。

「何か用か、と」
「いえ、いいえ、なんでもありません……」
「そうか。寒そうだな」

 顔を逸らすと、隣で衣擦れの音がしてばさりと肩からジャケットを掛けられた。レノさんが脱いだスーツのジャケットだ。レノさんの顔を見ると、まだこちらを向いていて目が合った。レノさんはつい目を逸らしたくなる美形だ。

「寒いなら着とけ」
「ありがとうございます」
「止まないな」
「はい……」

 通り雨のはずだから止むまでの間の雨宿り。思いもよらぬ来客があって、ジャケットまで借りてしまった。おしゃべりが好きだったら暇つぶしにレノさんと会話できたかもしれないが、口下手な私にはそんな勇気はない。
 レノさんは携帯電話で誰かと通話し出す。タークスの仲間の誰かに迎えに来てもらうのだろうか。私には迎えに来てくれるような友人も同僚もいない。いや、頼めば誰かしら傘を持って迎えに来てくれるかもしれないが遠慮する。傘を忘れたのは私のせいだし、急な雨だからしばらくすれば止むだろうと考えた。
 隣にいるレノさんは笑っている。楽しいことがあることはいいことだ。最近楽しいことあったかな、これからあるかな。最後に笑ったのはいつだったかな。
 笑えるほど心の余裕がないや。
 通話を終えたレノさんはこちらを向くと私の両頬をつまんで引く。力を入れていないとはいえ痛い。

「痛いです、レノさん!」
「俺のこと知ってるのか?」
「タークスは有名人ですからね。それにしても何なんですか。急にほっぺた引っ張って」
「浮かない顔してるから、元気づけてやろうかなーって。は笑った方がいいぞ、と」
「なんで、名前……」
「ハハ、タークスのレノさんに知らないことなんてないぞ、と」

 私、タークスに目をつけられるようなことしたかしら? 全く心当たりがないが、タークスのことだから町の民の顔と名前を覚えている可能性もある。変な縁ができてしまったな。

「人生が地獄だ、みたいな顔してる女がいるなって思って観察してたら名前覚えたんだ」
「私、そんな顔してますか?」
「少なくとも楽しそうには見えないな。女は愛嬌って決めつけるわけじゃないけど、笑った方がいいと思うぞ、と」

 レノさんは私の眉間をつんと人差し指でつつく。気づいたことは、眉間に皺が寄っていたこと、肩の力が入っていたこと。大きく息を吐いて体の力を抜いてみた。これで晴天だったら深呼吸して美味しい空気を胸いっぱいに満たしているところだ。
 雨、やまないな……。

 レノさんは「悪いな」と言って私の羽織っていたジャケットを回収する。黒塗りの車が目の前に止まり、金髪の女性が降りてきて私に傘と黒いジャケットを渡す。この人、タークスのイリーナさん、だっけ。

「風邪引くといけないですからこれ着てくださいね。傘もどうぞ。どちらもタークスで余っているものなので返さなくて構いません」
「ありがとうございます。いいんですか?」
「必要になれば先輩のポケットマネーで補充しますから大丈夫です!」
「何で俺なんだよ、と」

 レノさんは軽口を叩きながら後部座席に乗り込む。見送ろうとそのまま立っていたら、後部座席の窓が開いてレノさんが顔を出す。

、またな。任務で送っていけないけど、気を付けて帰れよ、と」
「は、はい。ありがとうございます」

 また会うことなんてないだろうと思いながら、お辞儀して車が見えなくなるまで見送った。



 数日後の雨の日、同じ場所で濡れねずみのようになっているレノさんを見かけることになるとは思わなかった。私は傘を差していて、開店前の軒先に用はない。

「また傘忘れたのですか?」
「おう、。任務に傘は荷物だからな」
「お迎え待ちですか?」
「連絡付かなくてな、待ちぼうけだぞ、と」
「入りますか?」

 何言ってるんだ、私。自らタークスと接点や縁を作ろうなんてこと。

「さんきゅーだぞ、と。神羅カンパニーまで」

 レノさんは遠慮なく私の傘の中へ入ってくる。行き先まで告げられて、私はタクシーではないけれど、この人をこのまま神羅カンパニーまで連れて行かなければならないだろう。都合よく借りたジャケットと傘を持っていれば、返すことができたのに。毎日持ち歩くわけにもいかずずっと家に置いている。
 びしょ濡れのレノさんは寒そうだ。風邪引かないだろうか。

「濡れねずみみたいですよ、レノさん」
「絶対風邪引くな、これ」
「お大事に」
「看病してくれないのか、と」
「どうして私が……」

 レノさんは笑っただけで何も答えなかった。
 どうしてだろう、この人のことを構ってあげないといけないと思ってしまう。結局口下手な私は何も言えなかったけれど、目的地まで相合傘するのは楽しかった。

「もう着きますね」
「どうもだぞ、と。礼はいつかする」
「それには及びません。以前傘とジャケットを貸してもらいましたから」
「まぁまぁ、そう言わずにレノさんの厚意は素直に受け取ってくれよ、と。好意もな」
「ん?」

 止まない雨に降られながら、踵を返して神羅ビルに背を向けた。










タイトルはalkalismさんからお借りしました。

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雨の日の話が書きたかったのですが、うまくまとまりませんでした。

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