【素直になりましょう】





 突然のことで理解が追いついていない。唇に触れたそれが離れて声を発するまで数秒なのに、世界がスローモーションで動いているようで数分のように感じた。たいした時間ではないと言われそうだが、とんでもない。私にキスしたのだ、レノが。同僚以上恋人未満? いやいや同僚以外の何者でもない。ただの私の片想い。

「キス、した?」
「したぞ、と」
「どうして?」
「なんとなく」

 なんとなくで乙女にキスする馬鹿がどこにいるのだ。いや、ここにいる。人の心を弄んで何が楽しいのだ。相手が好きな人だから正直なところ嫌悪感はない、むしろ嬉しいに近い。それでもきちんと段階を踏んでからがよかった。もしかして、私がお堅いだけなのか? 世間一般ではこれが普通なのか?
 あっけらかんとしたレノを横目に、仕事の続きに手をつける。動揺していて手がつくわけもないのに仕事をしているふりをしたけれど、レノにはばれてしまった。

「動揺したか? 全然手が動いてないぞ。効果はあったってことか」
「効果?」
「嫌でも俺のこと意識するようになるってことだぞ、と」
「私に意識してほしいの?」

 私の問いに返事はなく、そっぽを向いたレノの耳が少し赤く染まっているように見えたのは気のせいではないと思う。なんだ、レノは私のことが好きなのだ。片想いじゃなくて両想いだったのだ。なんとなくキスしたのではなくて、私を振り向かせたくてキスしたのだ。
最初から振り向いてるよ。知らなかったの? 気づかなかったの? 動揺していたのが嘘のように愉快になってきて、柄にもなくレノを揶揄いたくなった。

「レノが赤面するなんて珍しいね」
「はぁ? 誰が赤面してるって?」
「レノ様」
「してないぞ、と」

 どんどん自信がついてきて、大胆な行動をとることにためらいがなくなってきた。デスクの上に書類を広げ始めたレノに近づき耳に息を吹きかけると、悲鳴にも似た奇声をレノがあげたので笑ってしまった。目だけで「何してんだ」と訴えてくるレノの額を小突いて「なんとなく」とレノの真似をしてみる。黙って瞬きを繰り返すレノが滑稽で「女心を弄んだ罰だよ」と返して自分のデスクに戻る。
 報告書をまとめているとレノに話しかけられた。

「なぁ」
「んー?」
「お前のこと、好きだぞ、と」
「私も、レノのこと好きだぞ、と」
「真似すんな」
「別にいいじゃない。減らないよ?」

 結局照れ隠しでレノの真似をしてしまい素直になりきれなかった。私の悪い癖、レノと一緒にいたら治るかな。




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両片想いで素直に気持ちを伝えられなかったふたり。

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