[ 月が綺麗な夜なんて幻想 ]





ツォンさんに頼まれた書類を仕上がて時刻を確かめる。
22時前。深夜残業手当がつく直前の、誰もいないタークスの事務所。
急いでパソコンをシャットダウンし、窓の戸締りを確認して鞄を抱えたところで、レノが帰って来た。
髪はボサボサ、顔もスーツも薄汚れている。
疲れ果てた表情で、私の隣の席にドカッと座り、机の上に突っ伏した。


「お帰り。疲れてるね」
「あぁ、すんごい疲れたぞ、と」
「何か飲む?」
「いい」
「そう、じゃあ帰るから。窓が閉まってることは確認したから、電気消すのだけ忘れないでね」
「もう帰るのか?」
「今日は早朝から働いてたし」


顔を少し横へ向け、視線をこちらに向けるレノ。
視線が熱を帯びていてどきりとする。
このままここにいても深夜残業手当がついてしまう。
給料面では喜ばしいけど、そういうのも評価に入らないとは言い切れないから帰ろうとしたら、腕をレノに掴まれた。


「レノ?」
「帰るなよ。まだ、ここにいろよ」
「もう疲れたから帰らせてよ」
「俺も疲れてるから、お互い様だろ」
「じゃあ、早く帰ろうよ」


レノは体を起こし、私の腕を強く引く。
私はレノの胸の中に倒れこみ、勢いでイスが倒れて私とレノは床に転がり落ちた。
レノは頭を打ったのではなかろうか。心配になるが、レノが私を抱きしめる力が強くなる。
意識はあるようだけれど、この状態は一体何なのだろうか。


「レノ……」

「ごめん、ありがと。重いよね? すぐ退くから」
「このままが、いい」


一層レノが私を抱きしめる力が強くなる。
私もタークスの端くれだからそれなりに力はあるけれど、男のレノに敵うわけがない。


「レノ、ちょっと苦しい」
「……」
「レノ! 聞いてる?」


無理して体を起こそうとしたら、唇を何かが掠めた。
一瞬のことでわからなかった。
レノがキスした?
レノは腕の力を緩め、私の体を抱き起して自分も立ち上がる。


「悪いぞ、と。さっきのは忘れてくれ」
「レノ?」
「何でもない。ちょっと疲れただけだぞ、と」
「本当に、大丈夫?」
「これ以上、俺に話しかけるなよ、と。理性が抑えられそうにない」


レノは椅子に座り、報告書を書き始めた。
レノの背中が、小さく見える。


「帰るね」
「あぁ、お疲れ」





 *





事務所の扉が静かに閉じる。
一人きりの事務所は静かで気味が悪かった。

に言えなかった。
「好きだ」
たったそれだけのことが。
抱きしめて、キスまでしたというのに。

ずっと好きだった。
2人で仕事帰りに飯を食いに行くこともあった。他の誰よりも仲が良いと思っていた。だから、脈ありだと勝手に思い込んでいた。
そうではなかったらしい。
けれど、強引に抱きしめてキスしても、は怒らなかった。
少し期待してもいいのだろうか。
甘い考えはやめよう。

任務で疲れ果てていた。帰ったらがいた。
慰めてほしいと思った。そんなこと思うことなんて今までなかった。それくらい、今日の任務は厳しいものだった。
余計辛くなっただけだ。

天井を仰ぐ。
報告書は書けそうにない。
に、水でももらっておけばよかった。
優しくされると、どんどん好きになって沼にはまってしまう。

窓から見える満月が憎らしいほどに綺麗だった。




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秋の夜長に(もうすぐ冬ですが)人恋しい季節に、切ない系の話。

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