[ 蒲公英 ]





「髪の毛に何かついてるよ」
俺に向けて発せられたその声に体が硬直する。
じっとしていれば、小さな手が俺の髪から何かを奪っていった。
振り返ると、糸くずを顔の前で小さく揺らしているがいる。
の指から糸くずが離れた。いや、放たれたと言った方がよいか。
たんぽぽの綿毛のように、ふわふわと宙を舞い、床に落ちた。

はちみつのように甘ったるい笑顔に、俺の胸は高鳴る。
思わせぶりはやめてくれ。
体に毒だ。

どうして俺はに惚れたのだろう。
どうしてはルードに惚れたのだろう。
どうして俺たちは三角関係になったのだろう。

盛大な溜息をつき、オフィスビルの廊下を歩く。
俺の気持ちなど知りもしないは「あ、待ってよ」と呑気な声をあげて俺を追いかけてくる。
俺を追いかけなくていいよ。
ルードを追いかけてやれよ。

いつも、うまくいかないんだ。
本気で好きになると、その人には既に想い人がいたり、既婚者だったり、俺の前から消えてしまったりした。
奪い取ろうとは思わなかった。
本気ではなかったんだ、と割り切ることにしている。
恋愛で争うことが、面倒だから。
窓から見上げた空は、雲ひとつなく澄んだ青色だった。
俺の心の中とは正反対だ。

あぁ、こいつも澄んだ心をしているよな。
いつものスキンシップでイリーナの頭をポンとはたく。
甲高い声でわめくイリーナを見て笑った。
笑った俺とは対照的に、は口をへの字に曲げて不機嫌になっている。
何が不満? イリーナをいじめたことが不満?

ゴホンとわざとらしい咳払いをしたツォンさんがしたならば、ミーティングの開始だ。
真面目な表情に戻ったイリーナの横に並んで立つ。
は俺の隣に、ルードはイリーナの横に立つ。
身長がでこぼこだ。



「さて、社長から休暇をとるように仰せつかった」
「へぇ、社長も気前いいな、と」
「静かにしろ。そこで、社員旅行としてウータイへ行く」



何事も起きなければいいな。
午後の事務仕事をある程度片付けて、ルードの淹れたコーヒーを飲みながら思った。
いや、むしろ何か起きて欲しい。
俺との間に面白いことが起きて欲しい。

例えば、何かに怯えたが俺に飛びついてくるとか。
ありえないな、タークスが怯えるようなものがどこにある。

例えば、酒に酔っ払ったが、俺に愛を告白してくるとか。
ありえないな、それならルードに告白するだろ。絶対阻止だ。

例えば、目が覚めたらの顔が目の前にあって、同じベッドで眠っていることに気付くとか。
ありえないな、そこに至るまでの経緯がまったくもって不明だ。

溜息をつくと、ルードが眉間に皺を寄せた。



「どうした、相棒。社員旅行が不満か」
「いやいや、楽しみだぞ、と」
も不満だと言っていたな」
「そうなのか?」
「社員同士で旅行に行ってもつまらない。行くなら恋人とバカンスを楽しみたいそうだ」



目を大きく開いて瞬きをする。
そんな俺を見て、ルードは愉快そうに笑った。



「そんなにが気になるのか?」
「当たり前だぞーっと。に恋人いたっけ? 片想いなんじゃなくて…」
「恋人がいるという話は聞かないな」



お前に片想いしているんだ、お・ま・え・に!
そう大声で言いたかったけれど、癪に障るから絶対言わない。
お前を見つめるの視線に気付かないのか? この鈍感め!

ルードと入れ替わりで、がミネラルウォーターの入ったペットボトルを持ちながら事務所へ入ってきた。
俺の隣のデスクにもたれかかり、こちらを見て首をかしげる。
その仕草が可愛らしくて、手にしていたコーヒーカップを落としそうになる。



「危ないよ、レノ。やけどしちゃうよ」
「むしろ、やけどしたいくらい。の愛で」
「はぁ?」
「なんでもないぞー、と。それより、社員旅行が不満だって?」
「だって、ツォンさんもイリーナもいるし」
「まぁ二人きりじゃないよな」
「そそそそ、そんなこと言ってないよ。いや、うん、どうせなら好きな人と二人きりならときめいたりするじゃない」
「乙女の戯言だな」



どうして優しい言葉をかけてやれないんだろうな。
好きな子ほどいじめたくなるガキか。
心の中で呆れ果てた。



「二人きりじゃないけど、一緒に休暇を過ごせるわけだからいいんだけどね」
「やっぱり」
「何?」
「ルードのこと、好きなんだろ?」
「え? ルード? 誰?」
「おい、大事な仲間に何言ってんだよ」
「違うよ。ルードに恋してない」
「嘘だろ! 思わせぶりかよ」
「嘘!私そんなにルードのこと好きアピールしていたの?」
「ルードは鈍感だからな」
「イリーナには百パーセント通じてたのに、性別違うからかしら」



くるりと背を向けて、はデスクに向かった。
事務仕事を片付けるらしい。

はルードのことが好きだと、俺は思い込んでいた。
他に旅行へ行く男といえば、ツォンさんしかいない。
それはないだろ。イリーナがツォンさん一直線なのをよく知っているだろ。
三角関係を押し切るのか。抜け駆けするのか。

そんな危ない道よりも、俺の方がいいだろ?



「アピールしているつもりだったけど、全然通じてなかったのね」
「残念だったな」
「全然残念がってないね、レノ」
「そりゃ、なぁ。がルードのこと好きじゃないと知った瞬間の安堵感ときたら」
「じゃあ、誰のことを好きだったらいいの?」
「そんなの、俺にきま……」
「俺にきま? 俺に決まってる?」
「いや、まぁ、うん。そうだぞ、と」



顔を真っ赤にしては事務所から出て行った。
俺の告白をどう受け止めてくれたのだろうか。
あぁ、受け流しているか。

気付けばコーヒーカップは空になっていた。
休憩は終わりだ。
事務所を出て側にある給湯室のシンクにカップを置いた。
スポンジを水で軽く濡らし、洗剤をつけてあわ立たせる。
悲鳴のような奇声が聞こえ、驚いて廊下へ顔を出すと、喫煙所からルードが出てきて俺に「隠れろ」と身振りで伝えた。
照明を消して、しゃがむ。
ルードの後ろに興奮した様子のがいる。



「ルード!レノが、私が好きだったらいい人が『俺に決まってる』って」
「よかったな」
「もう、よかったどころじゃないよ!嬉しすぎて呼吸の仕方を忘れてしまいそう」
「死ぬぞ」
「死んじゃうよ。本当に死なないようにしないと」
「それで?」
「それで?」
「お前はどうしたんだ?」
「……何も言わずに飛び出てきちゃった」
「レノには伝わってないぞ」
「そう、だよね」



展開についていけない。
床の埃を見ていると、人影で視界が暗くなる。
顔を上げると、が立っていた。
顔がりんごのように真っ赤になっている。



「レノ!」
「どうした? 顔が真っ赤だぞ、と」
「私はレノが好きなの」
「え?」
「大好きっ!任務行ってきますっ!」



愛の告白なのに、そう聞こえなかった。
呆然としていると、ルードに肩を叩かれる。



「伝わったか?」
「あぁ、十分なほどに」
「お前は、の想い人は俺だと勘違いしていたようだが、俺にしてみればの想い人はずっとレノだったが?」
「ルードへの思わせぶりに意味あるのか?」
「被害妄想かもな、相棒」



腑に落ちないまま、の背を見送った。
さて、戻ってきたらどんなふうに迎えてやろうか。







タンポポ:思わせぶり。気があるように見せる

From 恋したくなるお題 (配布) 花言葉のお題1


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レノもヒロインもかわいいなぁ、もう。笑
うちの会社は社員旅行ありません。よかった。
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