[ 涙味の夕飯 ]





衣擦れの音に顔をあげると、が目を覚ましてソファから身体を起こしていた。
夏用の毛布は肩から掛けたまま、寝ぼけ眼をこすり、うつろな目のままこちらを見て「おはよう」と言う。
たった数時間、しかもソファの上での休息で身体が休まるわけもなく、立ち上がろうとしてよろめく
毛布が床に落ちたが、を落とすわけにはいかない。
俺は慌てて筆を置き、その身体を支える。


「無理するな。まだ休んでおけ」
「水、飲みたい」
「俺の飲みかけの茶しかねえな」
「それ、ちょうだい」


をソファに座らせ、俺は湯呑みを渡す。
ゆっくりとした動きで、は湯呑みの茶を飲み干す。


「ごめんなさい。全部飲んじゃった」
「構わねえよ。また淹れればいい」
「うん、ありがとう」


が目を覚ましたのなら、仕事は終いだ。
の隣に腰掛け、ぎゅっと二人の距離を縮める。
眠っている間に乱れてしまった髪を手で梳いてやる。
さらさらと指の間を流れゆく髪を一房掴み、そっと口付ける。
甘くて爽やかな香りに包まれる。

何も言わずにを抱きしめた。
松本に言われた言葉を思い出す。
たくさん抱きしめて、たくさん話しかけろ、と。
抱きしめて、頭から背中を何度も撫でて、でも、何を話しかけたらよいのかわからない。
これが経験の浅さか。場数を踏んでいないということか。
沈黙に耐えられなくて口を開いたが、気の利いたことは何も言えやしない。


・・・」
「なあに?」
「松本に、たくさん抱きしめて話しかけろって言われたけど、何にも話しかける言葉が思いつかねえんだ・・・」
「そうなの?」


相槌の端々から、の気力の無さが伝わってくる。
早く、体力を回復させてやりたい。


「こんな俺ですまねえ」
「そんなことないよ。私は、冬獅郎が傍にいてくれるだけで、すごく幸せ」
「本当に、すまねえ。俺は、お前に何にもしてやれねえ」
「謝らないで、お願いだから。冬獅郎からそんな言葉聞きたくない」
「すまん」
「また言った。もうやだ、お腹空いた」
「何で俺が謝ったら腹が減るんだ?」
「聞きたくないことを我慢して聞いてたら、お腹空いてきた」


クスクスと小さな笑い声が聞こえる。
愛の言葉をささやかずとも、こういう会話がにとってはよいことなんだな。
離れる前に強くを抱きしめた。


「飯、食いに行くか」
「うん」
「何が食いてえんだ?」
「なんでもいい。冬獅郎が食べたいものでいいよ」
「そうか・・・」


選ぶ気力もないということ、か。
そもそも、歩いて連れ出すこともできないことを思い出した。
食堂は落ち着かないから、作って持ってこさせることにした。

そば、うどん、丼物、煮物、おひたし、全部少量で机の上に並んでいる。
は随分悩んでそばを手に取る。
ならばうどんは食べないだろうと思い、うどんを食した。


「おいしいね」
「そうだな」
「食事ってこんなにおいしいものなんだね」
「俺がいない間、どれだけ不味いもん食ってたんだ?」
「食堂のご飯だよ。だんだん味がしなくなってきたの」
「味覚障害かよ・・・でも今は味がするんだろ?」
「うん。とっても、おいしい・・・」


『おいしい』は正の感情だろ。
だったら何で泣くんだよ。
背中をさすってやるが、泣き止む気配がしない。


、どうした。口に合わなかったか?」
「ううん、そうじゃない。冬獅郎がいるだけで、ご飯がこんなにおいしくなるなんて・・・」
「そうか、そうだな。俺はずっと松本や他の連中と一緒にいたからな」
「修業しに来た井上さんとルキアさんとご飯を食べたこともあったけど、みんなと時間が合わなくてほとんど一人で食べてたから」
「これからは俺がいる」
「うん」


ようやくが泣き止みそうになる。
の泣き顔なんて、長い付き合いだがほとんど見たことがない。
今日は何度も泣かせてしまったな。
の頬に手を添え、親指で流れる涙をぬぐう。


「ほら、落ち着いたらまた食べろよな」
「うん。海老の天ぷら食べたい」


丼ぶりの上に載っている海老の天ぷらを箸で掴み、の口元へ運ぶ。
俺に食べさせてもらうことに躊躇していたが、ゆっくり口を開いた。
噛り付いて一口食べたは、渋い顔をしている。


「涙の味がする」
「泣いた後だから、仕方ねえな」
「そうだね」


伏せた瞳から流れた小粒の涙が、頬を伝っての唇をかすめる。
その唇に自分の唇を重ねた。
重ねている間にまた涙を流したらしく、唇に水気が触れる。


「とう、しろ・・・」
「今日は思い切り泣けばいい。そのかわり、明日からちゃんと笑ってろ」
「うん」
「飯食ったら、四番隊へ行くぞ。一度、見てもらった方がいい」
「・・・・・・」
「返事は?」
「や・・・、うん」


『やだ』と言いかけたを睨んで、無理やり同意させた。
これだけは譲れない。
が泣きわめこうが、俺のことを嫌いになろうが構わない。
が元気でいられないなら、なんの意味もない。


「早く元気になれ。そしたら、いくらでも働けばいい。仕事は逃げねえからな」
「冬獅郎も、いなくならない?」
「当たり前だ! 俺は隊長だぞ」
「井上さん、助けに行かないの?」
「阿散井と朽木が行くだろ。俺も、総隊長の命に背くわけにはいかねえし、何よりお前のことを放っては行けない」
「ごめんなさい」
「謝るな。俺たちは決戦に備えて尸魂界の守護につく。だから、とずっと一緒にいる。一緒に強くなろうな」
「うん」


の頭を撫でる。
いろんなことに安心したようで、は箸を手に取り再び食べ始める。
四番隊へ向かえば、しばらくの間、こうやって二人で過ごすこともなくなるだろう。
今を大切にしたい。
の横顔を見ながら、俺も食事を摂る手を動かした。





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ひっつんは口下手でうまく愛の言葉をささやけないけれど、
正直者だから想いはきっと伝わると思う。

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