[ ひと月の隙間 ]





会いたいと、言えなかった。

「『会いたい』って言ってくれれば、すぐに飛んでいくから」

昔、隊長が言った言葉が頭をよぎる。
言っても、叶わぬ夢だから、言わない。辛くなるだけだから、言わない。
技術開発局を後にし、十番隊の隊舎へ戻る。

涙がこぼれた。

他人に見られないように、うつむいて駆けた。
隊長が呼んでくれた自分の名前がこだまする。
ぎゅっと歯を食いしばった。


あれから、隊長とは一度も通信できないまま日が過ぎた。
倒れないギリギリのところで働き続けている。
もう限界かもしれない。
みんなに迷惑は掛けられない。
執務室のソファに腰掛けると、自然と瞼が閉じてしまう。
だめだ、開かなくちゃ! そう思っても開くことができなかった。


瞼を開く。
眠ってしまった。
ゆっくり体を起こすと、ぱさりと音をたてて身体に掛けられていたであろうものが床に落ちた。
それを拾い上げて、驚愕する。
真っ白で、中央に十の文字が書かれた小さな羽織。
隊長の羽織に間違いない。
抱えて立ち上がると、懐かしい声が聞こえた。


「もうっ、隊長が大きな声出すからが起きちゃったじゃないですか」
「うるせえ! いいから報告書を仕上げろ」
、ただいま。随分待たせたわね」


乱菊さんは優しく微笑んでくれた。
私の会いたい人は、仏頂面のままだ。
大慌てで羽織を返しに行く。


「隊長、申し訳ありません。羽織、ありがとうございます」
、どういうことだ」
「はいっ?」
「締切が先の仕事まで片付いている。急ぎのものだけやればいいと言っただろうが」
「それは・・・お二人が戻った時に仕事が山積みになるのを避けたくて」
「それで、お前が身体を壊したら意味がないだろ!」
「そう、ですね。申し訳ありません」


隊長は不機嫌が身体の至る所からあふれ出ている。
現世から戻ってきたことが気に入らないのだろうか。
私に、会いたくなかったのだろうか。


「今日はもういいから、帰って休め」
「はい、申し訳ありませんでした・・・」


やっぱり、隊長は私の顔が見たくないらしい。
会いたい人に、会いたくないと言われたも同然だ。悲しくないわけがない。
溢れてくる涙を、流すまいとこらえながら、執務室を飛び出した。
『廊下では静かに』
守れそうにない。走って宿舎に向かった。











尸魂界へ戻ってから、の笑顔を見ることができないまま、その姿を目の前から遠ざけてしまった。
あんな顔をさせたくなかった、してほしくなかった。
全部、俺のせいだ。
他の席官からは、倒れる寸前だと聞いていた。だから、ゆっくり休んでほしかった。

ただ、これでよかったのだと、自分に言い聞かせた。


「隊長のバカ」
「松本、てめえ誰に向かって言ってんだ?」
「隊長のバーカ。、泣いてましたよ。愛する人を泣かせるなんて最低ですね」
「最低で構わねえよ。あいつが休んでくれればそれでいい」
「休めるわけないじゃないですか。愛する人から冷たいこと言われたんですよ。
 一生懸命、身体を壊すくらい仕事を頑張ったのに、礼の一つも言いやしないなんて」
「身体を壊したら元も子もないだろ」
「あたしたちが戻ってきたときに山積みになった仕事を見てうんざりしないように、頑張ってくれたんですよ。
 それに、隊長はいっちばーん大切なこと、まだ言ってないでしょ。私は言いましたよ」
「何をだ?」
「それは、自分の胸に手を当てて、よく考えてください」


数分の出来事を思い出す。
松本は何を話した? 俺はに何を話した?
俺は仕事の話しかしなかった。松本が言った言葉を思い出せ。
報告書に手を付けようとしない松本を叱って、俺の大声でが目を覚まして、そして・・・
ようやく思い出した。
一番大切なこと、に伝えていない。その次に大切なことも、伝えていない。
最低だな、俺は。
慌てて執務室を飛び出した。

は遠くまで行ってしまったようだ。
瞬歩で追いかける。
ただ駆けているだけなら、捕まえられるのも時間の問題だ。
宿舎の縁側を力なくよろよろと歩く背中を見つけ、その片腕を手に取る。

驚いてこちらを振り返った顔は、涙で濡れていた。

泣かせてしまったことを後悔する。
ずっと寂しい思いを抱えていただろうに、俺はまったく優しくしなかった。


「たい、ちょう。どうして・・・」
「二人きりで、話がしたい。今すぐ」
「じゃあ、ここで」
「ここは、人目につく。貴賓室まで戻る」


昼飯時のようで、隊舎内をうろつく隊士は少なかった。
泣いているを連れて歩くにはちょうど良い。
貴賓室にを押し込め、後ろ手に扉を閉めて鍵を掛けた。
二人だけの時間を、誰にも邪魔されないように。



「・・・・・・」


は無言のまま、窓際で外を向いてしゃがんで耳を塞いでいる。
俺の話は聞きたくないらしい。
きっと、また冷たいことを言われると思っているのだろう。
ゆっくり、精一杯優しく、呼びかけた。


、ただいま」


耳を塞いだところで声が聞こえなくなることはない。
俺の言葉は伝わったようで、はゆっくりとこちらを振り返る。
また、泣かせてしまったか。
小刻みに震えるの唇は、俺を迎え入れる言葉を紡いでくれた。


「おかえりなさい、冬獅郎」
「仕事、たくさん片づけてくれてありがとう」
「隊士として、当たり前のことだよ」
「俺は、当たり前のことを最初に言わずにお前に冷たく当たってしまった。最低だ。罵って構わない」


会話を続けながら、二人の距離を短くしていく。
もこちらへ身体を向けてくれた。


「一人にして、悪かったな」
「みんながいたから、一人じゃなかった」


涙で濡れた頬に手を添える。
まだ、笑えない、か。
俺が心をかき乱してしまったからな。仕方がない。
傍にいられれば、またいくらでも見られるか。
口付けようとして顔を寄せると、から俺の方へ抱き着いてきて、その勢いで床へ倒れこむ。
俺の背中は床に押し付けられ、の声が耳元でする。


「ずっと、会いたかった」
「俺もだ。と離れていることが、こんなに辛いとは知らなかった」
「私も、同じ気持ちだった」
「今度は、一緒に行くからな」
「うん」


の頭を撫で、髪を手で梳く。
いつも当たり前のように傍にあったぬくもりが、今日は懐かしく感じる。


「辛い思いをさせたな」
「そんなこと、ないよ・・・」
「我慢しねえで正直に言えよ」
「・・・・・・もう、しんどい」
「だろうな。が倒れる前に戻ってこれてよかった。ほら、今日は部屋に戻って休め。送っていくから」


を抱き起こし、自分の膝の上に載せる。
見上げた先にある顔は、何やら不満そうにしている。


「冬獅郎と、一緒にいたい」
「だからって、この身体を休ませねえと。もうボロボロなんだろ」
「わがまま言ってるのはわかってる。でも、久しぶりに会えたから、一緒にいたい」


俺をまっすぐ見ている瞳が、瞼でふさがれようとしている。
起きているのも精一杯なんだな。
こちらへ倒れかかってくる身体を抱き留める。


「今日はここで休め。俺も、ここで仕事をするから、ずっと一緒にいる」
「うん、ありがとう」


俺の膝の上から降りたは、ソファに身体を沈めた。
すぐに寝息を立てるの唇にそっと触れる。
いつもよりずっと熱い。
熱でもあるのだろうか。額に手を当てたがそれほど熱くはなかった。
の頭を撫でて、立ち上がる。
執務室の道具を運びこんだら、仕事再開だ。
松本に手伝ってもらい、書類と硯を貴賓室へ運び込む。

晩飯は一緒に食べたい。
の弱った身体には何が良いだろうか。
の寝顔を見ながらでは、仕事が進みそうにないな。
筆を置いて、しばらく息抜きがてらの顔を眺めることにした。

部屋の扉小さく叩く音がし、ガタガタと扉を開けようとする音がした。
鍵を掛けてしまったらしい。
慌てて鍵をはずせば、盆に湯呑みを乗せた松本が立っていた。


「お取込み中でした?」
「いや、鍵を掛ける必要もなかったんだが・・・」
「眠ってるんですね、
「あぁ」


湯呑みを机の上に置いた松本は、盆を抱えての傍に寄る。
松本の指が、の前髪をかき分ける。


「何日休めば元気になるでしょうか」
「こいつに足りねえのは、睡眠と食事だ。ちゃんとしてれば、すぐによくなる」
「あとは、隊長の愛、ですね」
「そんなもん、なくてもいいだろ」
「一番に足りないものですよ。たくさん抱きしめて、たくさん話しかけてあげてくださいね」


松本が去って二人だけの空間に戻る。
俺も少し休もう。
ソファで眠るの頭の横に自分の頭を載せ、腕をの肩に回す。
起きたら、嫌になるくらい抱きしめてやるからな。




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バファリンの半分はやさしさでできている、みたいな。

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