[ 此処 拠り所 ]





「こんにちは、さん」
「あら、こんにちは、美羽さん。眼鏡、変えました?」
「ええ、新調したんです。少し、派手な気もしますが」
「お似合いですよ。私も、また買いに行きますね」


夜勤明けで非番だったので夕方にふらりと買い物に出たら、実家のお手伝い中だった美羽さんにばったり会った。
阿散井くんに散々口説かれて行った銀蜻蛉。
値段は張るけど、洒落た物がたくさん置いてあるし、美羽さんの人柄にも惹かれる。

ただ、眼鏡をかけると、日番谷くんがあまりよい顔をしない。
顔に跡がついたら嫌だって。
「俺の顔がどうなろうとしったこっちゃねえけど、の顔に跡がつくのは嫌だ」って、どういう言い分かしら。


「あの、実は父が引退して、銀蜻蛉の商売に専念することになりまして」
「お父様、副隊長辞めちゃうのですか?」
「ええ、もう総隊長もご存知です」
「そうなんですね。後任は、まだ?」


風の噂も聞かないし、後任なんて決まっていないのだろう。
浮かない顔で美羽さんは頷いた。
自分の父が目標を見つけてそれに進むのは嬉しいことだ。
でも、その父は自分の隊の副隊長だった。六番隊がどうなるのか、不安にもなるだろう。


「個人的には、さんが六番隊の副隊長に来てくれると、嬉しいですけどね」
「そんな、私は副隊長の器じゃないですよ」
「でも、十番隊の三席じゃないですか」
「私は、上を目指す気はないので」
「もったいないですね。上を目指しても辿りつけない人はたくさんいるというのに」


初めから、上を目指す気はこれっぽっちもなかった。
ただ、なんとなく、言われたとおり勉強して、言われたとおり任務をこなすと、今の位置に辿りついた。
何もかも、恵まれている。
それに、感謝しなければならない。


翌日、執務室へ行くと、日番谷くんが書類を睨みつけていた。
乱菊さんはソファと一体化して怠けている。朝だというのに。


「おはようございます」
「おはよう、。ソファがあるって幸せなことね」
「乱菊さん、朝から堕落しないでください」
「だって、堕落しないでいられないわよ」


乱菊さんは日番谷くんの手の中でくしゃくしゃになった書類を指差した。
それは、綺麗な弧を描いて私の足元へ落ちる。


「ちょっと、隊長。何してるんですか」
「捨てておけ」
「燃やしちゃって。あたしも見たくないわ」


書類を破かないようにゆっくり広げる。
昨日の美羽さんの言葉が蘇る。


「私を、六番隊の副隊長に、ですか」
「あくまで、『候補』だそうだ。だが、候補で納まるとは思えねえ」
「朽木隊長、のこと評価してますもんね。私が隊長だったら、絶対がほしいわ。優秀だもの」
「俺も、優秀な第三席の部下に恵まれてると思う」
「ちょっと、隊長! 副隊長のあたしが優秀じゃないっての?」


ぎゃーぎゃーわめく乱菊さんの声が普段ならうるさくて耳を塞ぐのだけれど、そんな気力もなかった。
この十番隊を離れるのは、嫌だ。
乱菊さんと離れるのも、嫌だ。
日番谷くんと離れるのも、絶対嫌だ。
俯いていると、日番谷くんが優しく声を掛けてくれた。


、俺達に気は遣わなくていい。お前の好きなようにやれ。俺達は、お前の決断に文句をつけることはできねえからな」
「隊長・・・」
「あたしは嫌です。が副官補佐じゃないなんて、許しません」
「お前なぁ・・・」


日番谷くんは頭を抱えている。
多分、この二人は、私が六番隊へ行くと悲しむ。
行って欲しくないから、日番谷くんは書類を睨みつけてくしゃくしゃにしたのだ。
だから、乱菊さんは朝からソファに体を沈めて浮かない顔をしていたのだ。
私も、二人のこんな顔は見たくないし、私はここが好きだ。

ごめんなさい、美羽さん。あなたの期待には応えられない。


「私、ここがいいです。十番隊の第三席じゃなくちゃ、嫌です」
「本当に、いいのか?」
「はい、私、向上心ないんで、副隊長とか正直興味ないんです。
 強くなりたいけど、上の役職は私にとって何の魅力もない。それに・・・」
「それに?」
「私は二人の下で働けてとても幸せなので、自分からその幸せを放り出すことなんてできません。
 あと、私がいなくなったら、隊長の仕事がてんこもりになっちゃいますからね。乱菊さん、書類片付けてくれないし」
「やだ、までそんな目であたしのこと見てるの?」
「ふふふ」


乱菊さんは拗ねて、日番谷くんが笑っている。
任務を終えて、執務室に戻ったら日番谷くんに笑っていて欲しい。
ソファでくつろいでいる乱菊さんにお茶を淹れてあげたい。

私が六番隊に行けば、六番隊は丸く納まるかもしれない。
けれど、私はこの人たちと一緒にいたい。
わがまま言ってごめんなさい。


「強くなりたいと言っていたから、てっきり上を目指しているのかと思っていた、俺は」
「全然、そんな気はありません。私は、てっきり隊長が私を十番隊から追い出したいのかと思いました」
「そんなことするか! 一生、離さねえ」


あまり人前でこういうことを言わない人だから、驚いた。
乱菊さんも驚いて、目を丸くしている。
「あたし、お邪魔のようね」と小さく呟いて、すっと執務室から出て行く。


「あ、あの、隊長」
「なんだ?」
「嬉しいです」
「何が?」
「えっと・・・」


自分の口から言うのは恥ずかしくて、笑って誤魔化した。
私も一生、あなたについていきます。


「そのゴミ、総隊長に渡しといてくれ」
「えええっ、こんなくしゃくしゃにしたもの、総隊長に渡すなんてとんでもない!」
「じゃあ、どうやって返事するんだ?」
「アイロンかけて皺を伸ばします! というか、お断りしますって一筆書いて下さい」
「やだね」
「『やだね』じゃないですよー、隊長。私が六番隊に行ってもいいんですか」
「それは嫌だ」
「もう、私、どうしたらいいんですか」
「さあな」


散々困らせておいて、日番谷くんは私に一通の書面を投げつける。
宛名は雀部副隊長。


「それを一番隊に届けに行って来い」
「はーい」
「寄り道せずに戻って来いよ」
「はーい」
「その間延びした返事やめろ」
「はーい」
「おい!」


嬉しくて笑顔になる。
歯を見せてニッと笑いかけると、日番谷くんも安心したようで肩の力を抜いていた。
戻ってきたら、笑って出迎えてね。




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六番隊副隊長を決める過程で、こういう話があったらいなと思っただけ。

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