[ 二人で見たスピカの在り方 ]
今夜は屯所で宴会。
酒やつまみを用意するのが私の役目。
皆の酔いが回ってきて、宴会場へ酒を運ぶのも落ち着いてきた。
一息つこうと湯を沸かす。
急須を用意していると、人の気配を感じた。
振り返ると、食堂の入口にたたずむ土方さんの姿が見えた。
顔が真っ赤だ。随分酔っているらしい。
「土方さん、お水ですか?」
「……」
「どうかなさいましたか?」
声を掛けても返事が無い。
かといって、ただの屍ではない。土方さんはちゃんと生きている。
ふらふらと千鳥足でこちらへ近づき立ち止まる。
顔を見上げると、両肩を掴まれ勢いよく壁に押し付けられる。
幸い、頭は打たなかったが、肩がとても痛い。
どうしてこんな目に合わなくてはならないのだろう。
きっと私は土方さんを怒らせるようなことをしてしまったのだ。
謝ろうとしたら、今度は抱きしめられた。
土方さんの胸に顔を押し付ける。
そして、耳元でささやかれて、私の心臓はドクンと跳ねた。
「好きだ」
たった三文字。それだけで、体中が熱くなる。
少し、私を抱きしめる腕の力が強くなる。
「好きだ。好きだ。好きだ、」
何度も繰り返される言葉が嬉しかった。
土方さんに必要とされている気がした。
私も土方さんが好き。
そう伝えようと土方さんの体に腕を回そうとした。
それは、遮られた。
あまりにも強く抱きしめられ、呼吸がままならなくなったからだ。
「好きだ。好きだ。好きだ」
土方さんの言葉はとても嬉しい。
けれど、苦しくて仕方がない。
「ひじ、かた、さんっ。くる、しい。ちょっと、いたい、です」
「好きだ。どうしようもないくらい、好きなんだよ、のことが」
「もう、いきが、くるしい、ひじかたさん、いたい」
「なんでだよ、どうしたら伝わるんだよ。こんなに好きなのに、俺はどうしたらいいんだよ」
土方さんが苦しそうにしている。
でも、それ以上に自分の身が持ちそうになくて苦しかった。
体中が軋んでいるように感じる。
助けを呼びたかったが、大きな声が出なかった。
「たすけて、だれか。いき、できなくなる」
「なんで喜んでくんねぇんだよ。俺のこと嫌いなのかよ。だったらはっきり言ってくれよ」
「ひじかた、さん、そんなことない。けど、いまは、くるしい」
苦しくて涙がこぼれそうになる。
土方さんに強く抱きしめられて、好きだと何度も言われて嬉しいはずなのに。
水が沸騰し、やかんがピューっと音をたてる。
このままではふきこぼれてしまう。
土方さんはまったく気にすることなく、私を抱きしめ続ける。
「ひじかたさん! 火を、消させて」
「消さなくても死なねぇよ。そんなに俺といるのは嫌なのかよ。なんでだよ」
もうだめだ。
涙が零れ落ちたその時、食堂の入口から山崎さんの声がした。
「副長ー、ちゃんと水飲みましたか? って、スンマセン!! お邪魔しましたァァァ!!
火だけ消していきますんで、勘弁してくださいィィィ」
「山崎さん、たすけて……」
「さん?? え、ちょっと、副長やりすぎですよ、さんが苦しんでます」
「やめろ、触るな、山崎!!」
普段なら山崎さんは振り払われてしまうが、酔っぱらった土方さんには太刀打ちできるようだ。
山崎さんは土方さんを私から引き離し、羽交い絞めにする。
私は体の力が抜けてその場にしゃがみこんだ。
乱れた呼吸を整える。
山崎さんは土方さんを引きずりながら、宴会場へ酒を追加するように頼んでいった。
一息つけそうにないな。
急須に湯を注ぎ、自分の飲む茶を用意してから酒瓶を宴会場へ運ぶ。
酔っぱらって眠っている隊士もいれば、近藤さんたちと大声で談笑している隊士もいる。
沖田さんは柱にもたれかかって、そんな隊士たちを眺めていたが、酒瓶を運んできた私の姿を見て酒瓶を受け取ってくれた。
「いつもすいやせん、さん。ちゃんと晩ご飯食べましたか?」
「もちろん食べましたよ。でないと宴会のお手伝いなんてできないですから」
「そりゃそうですねィ」
沖田さんはずっと宴会場の様子を眺めていたらしい。
だったら土方さんがどんな風だったか知っているかもしれない。
今日の土方さんはおかしかった。
ふらふらになるまで酔っぱらうことは今までになかった。
何か不満があるのだろうか、私に対して。
「沖田さん、土方さんの様子、おかしくありませんでしたか? 何か、私に対して不満を言っていませんでしたか?」
「いつも通りでしたよ。さんのことが好きすぎてどうしたらいいかわからないとか、大事にしたいのに全然できないとか、
どうやったら喜んでもらえるのかとか、そんなことばかり言ってますよ。
今日は、自分がどれだけ好きか伝わらなくて悔しいってさ。驚くくらいのヘタレですよ、鬼の副長のくせに」
「そう、でしたか」
「どこからどう見ても、相思相愛でお似合いの二人なのに、どうしてすれ違うんですかねェ」
「……きっと私が悪いんです。私が無知だから、たくさん迷惑かけてしまって」
「そんなことないですよ。さんがいるから、土方さんや俺たちは前を向いてやっていけるんですぜィ。
ちゃんと土方さんの気持ちはさんに届いてる。そう伝えてあげればいいんですよ」
珍しく沖田さんが優しい表情を見せた。
そういえば、沖田さんと二人きりで話すのは久しぶりだ。
他の隊士と一緒にいるときは、涼し気な表情をしている。
いたずらをするときは、楽しそうな表情をしている。
その優しい表情が一瞬で消えた。
沖田さんの視線を追うと、土方さんが眉間に皺を寄せて立っていた。
すぐにわかる。怒っていると。
沖田さんもそれは感じ取っていて、口を挟もうとしたが土方さんが先に動いた。
また肩を掴まれ、今度はそのまま畳の上に押し倒される。
「土方さん、待ってください! 周りに人が」
「どうしてなんだよ。何で伝わんねぇんだよ。こんなに好きなのは俺だけなのか? 俺の気持ち、わかってくれよ」
「土方さん、聞いてください」
「何でだよ! 何がいけねぇんだよ。俺じゃ駄目なのかよ」
さすがに焦った。
他の人の目があれば、こういうことは一切しなかった。手を繋ぐことすらしようとしない人だ。
私の体に馬乗りになり、首筋に顔を近づけてくる。
いつの間にか私の手は頭の上にあり、土方さんの片手でしっかりと手首を抑えつけられている。
抵抗のしようがない。
さすがに周りに人がいるから、沖田さんや血相を変えた近藤さんがすぐに土方さんを引き離してくれた。
廊下からドタバタと走る足音が聞こえ、青ざめた山崎さんが宴会場へ姿を現した。
「すみません、副長が大人しく寝ると言ったので気を抜いたら逃げられました。大丈夫でしたか?」
「大丈夫じゃねーよ、ザキ!! トシのことは任せたって言っただろ!!」
「離せよ、近藤さん! 総悟も離せ! なんで邪魔すんだよ!!」
「土方さん、落ち着いて。ちゃんとさんと会話してくだせェ」
三人に抱えられ、土方さんは宴会場を出ていった。
私がしっかりしなくちゃ。
食堂に戻り、冷めてしまった茶を横目にグラスに水を注ぐ。
副長室まで急ぎ足で行くと、部屋の前で山崎さんが立っていた。
「さん、副長が二人きりで話したいそうです」
「はい」
「今日の副長は酔いが回りすぎなので、また横暴なことをするかもしれません。
ここにいるので、何かあったらすぐに声を出すか大きな音を出してください」
「わかりました」
そっと障子に手を掛けて部屋の中に入る。
土方さんは布団の上に体を倒していた。
私の入室に気づき、体を起こす。
今は怒っていない。けれど、目が少し虚ろだ。
「土方さん、少し水を飲みませんか?」
「あぁ、もらう」
土方さんは手をこちらへ伸ばす。
私はその手にグラスを渡す。
一口だけ飲むかと思いきや、全部勢いよく飲んでしまった。
空のグラスを受け取ると、土方さんは俯いたまま口を開いた。
「今日、見廻り中に若い女どもが話しているのが聞こえたんだ。
恋人には、好きだとたくさん言ってほしい。プレゼントなんざいらねぇから強く抱きしめてほしいって。
そういうことを俺は言わねぇから、もそう思ってるのだと思った。
だから、たくさん好きと言えば喜んでくれると思った。強く抱きしめれば喜んでくれると思った。
なのに、は全然喜んじゃくれねぇ。むしろ迷惑がって助けを呼んだ。俺じゃ、駄目なんだよな。俺には、の隣にいる資格がねえよ」
「とても嬉しかったです。あんなにたくさん好きって言ってもらえて、とっても嬉しかった」
「だったら、なんで」
「少し、強かったんです。土方さんの力が。強すぎて、息ができなくなって苦しくて体がつぶれちゃいそうで」
「あれくらい抱きしめないと、抱きしめた気がしねぇ……。でも、が苦しいんなら、我慢する」
途中、私の顔を見てくれた。けれど、また俯いてしまった。
私がよい返事をしなかったからだ。
土方さんの期待に応えられなかった。そんな悲しい表情をしてほしくない。
「時々なら、構いません。痛くても、我慢します」
「が我慢するようなことじゃねーよ。いいんだ、俺のわがままだから」
「土方さんのわがままなら、私は構わないです。土方さんの期待に応えたい。
土方さんのこと、好きだから、土方さんの想いを、受け止めたい」
「……」
「好きです、土方さん。大好きです。いつも優しくしてくれて、守ってくれて、ありがとうございます」
布団の上に投げ出された土方さんの手を両手で挟む。
温かい手。
手の甲を撫でると、土方さんは体を倒し私の膝の上に頭を載せた。
膝枕だ。緊張する。
今度は土方さんの頭をそっと撫でる。
土方さんは目を閉じている。
このまま眠ってしまうだろうか。足がしびれて大変なことになるけど、土方さんの心が落ち着くならそれくらい気にならない。
しばらくすると、土方さんは体を起こす。
いつもの優しい目で私を見る。
顔は酒に酔って赤いけれど、まっすぐ私のことを見ている。
「このまま眠りたかったが、の足がしびれちまうからな。俺はもう寝るわ」
「おやすみなさいませ。また、明日」
「あぁ、今日は悪かったな。たくさん嫌な思いさせちまった。必ず、埋め合わせする。させてくれ」
「とんでもない! 私こそ、土方さんの気も知らず、失礼なことをしました。土方さんが優しいから、つい甘えてしまいました」
「もっと甘えていいんだよ。俺はのことを満たしてやりたい。全然構ってやれねぇし、気の利いた事は何にもできねぇし」
「毎日、十分満たされてます。私にはもったいないくらいの幸せです」
「本当か?」
「えぇ、本当です。嘘なんて言っても仕方ありませんから」
「はいつも本音を言わねぇからな。俺には隠し事するなよ。俺たち、対等だろ?」
「対等?」
「そうだ。上も下もねえ、言いたいことは言い合える、そういう仲だよ」
土方さんは布団に潜り込むと、「おやすみ」と言って眠ってしまった。
対等ってどういうことだろう。
どうすればいいのだろう。
やっぱり私は無知だ。
*
めまいと吐き気がする。
完全に二日酔いだ。
昨日のことを全く思い出せない。
どれだけ呑んだのだろう。
体を起こして項垂れる。
記憶をたどってみる。
一升瓶をそのままラッパ飲みしたような記憶があった。
無性にの顔が見たくなり、会いに行った記憶があった。
と何か大事なことを話した記憶があった。
に優しくされた記憶があった。
のことを思うと、記憶はなくとも体は覚えているらしく、心が温かくなった。
それでも記憶はなくしてしまった。
最低だ。
と大事な約束をしていたとしたら、からの信頼を失ってしまう。
ただ、失った記憶は取り戻せない。
正直に伝えよう。
隠し事をする方が俺たちの関係にはよくない。
水を飲みに行くか。
立ち上がり障子を開いて廊下に出ると、目の前にがいて驚いた。
二日酔いだと感覚まで鈍るらしい。
「おはようございます、土方さん。具合はいかがですか」
「あぁ、二日酔いだな」
「お粥を作ったのですが、召し上がりますか?」
「もらう」
グラスと丼ぶりを、盆の上に載せてやってきた。
部屋の中へ戻り腰を下ろすと、は俺の前に盆を置く。
そのまま去ろうとしたから、呼び止めた。
「、昨日は、その……」
「どうかなさいましたか?」
「昨日は呑みすぎた。で、だな……、その、記憶がなくて」
「そうなんですね」
「何か、大事な話を、大事な約束をした気がするんだ、と。
に、すごく優しくしてもらったことも体は覚えているらしいが、俺の記憶には無くて。その……すまん」
頭を下げた。俯いているだけのようにも見えるだろう。
詫びの品でも用意してから話せばよかった。
膝の上で組んだ手に、冷たい何かが触れる。
の手が、俺の手に触れている。
ふわりと柔らかい声が聞こえた。
「そんなに大事なことは話していませんよ。
忘れてしまったのなら、忘れてしまう程度のことですから、きっとそのままでいいんです」
「そういうわけにはいかねぇよ。教えてくれよ、何があったのか。
言いたくねぇようなことなのか? 俺が酷いことをしたのか?
手を上げるような、乱暴なことをしたのか? どれだけのこと、傷つけたんだ?」
「違います! とても、優しくしていただきました。
見廻り中に聞いた話を実践してくださって、とても嬉しくて、ただ土方さんは強いから力が入ってしまって、
弱い私には少し強すぎただけなんです」
具体的に何をしたのか言わないところが、やはりおかしい。
俺は、どうやらのことを相当傷つけてしまったらしい。
俺の手に触れているの手の甲に、自分の手のひらを重ねて挟む。
「俺が実践したって、何をだ?」
「あの、ええと……」
「言いにくいことなのか?」
「あの、たくさん、好きだと言ってくださって、それから、ぎゅっと抱きしめてくれました」
俺から目を逸らして、顔を赤く染めあげながら言うの姿が愛おしかった。
おそらく抱きしめる力が強すぎて、には痛かったのだろう。
「痛かったんだな?」
「い、いいえ」
「はっきり言ってくれ。そういう風に隠されると、調子に乗っちまって、またのこと傷つけるから」
「大丈夫です。痛くなかったです。気にしないでください」
「なぁ、何を遠慮してるんだ? 俺たち対等だろ? 言いたいことは言ってくれ」
「私は、言いたいこと、全部言ってるつもりですが」
「言いたいことだけじゃねえ。言わないでおいた方がいいと思ったことも、包み隠さずに、だ」
は途方に暮れている。
今まで、そういう関係でいられる人間が傍にいなかったのだ。
だから、どうすればいいのかわかっていない。
いつも、俺を立てるように振る舞っている。
内助の功はあるにこしたことはないが、俺がに対して内助の功を働けるかと問われれば、頷きがたい。
せめて、にはいろんなことを我慢せずにいてほしい。
「人を傷つけるとか、嫌われるとか、嫌な思いをさせてしまうとか、そういうことは考えなくていい。
俺は、が全部話してくれた方が嬉しい。俺の駄目なところは悔い改めて全部直したい。
昨日起きたこと、全部話してくれるか? 宴会のとき、俺は何をしたんだ」
「私はずっと食堂でお酒やおつまみの用意をしていました。そうしたら土方さんがいらして、好きだと言ってぎゅっと抱きしめてくれたんです。
でも、抱きしめる力が強くて、息ができなくなって、私も好きだと伝えたかったのに伝えられなくて、
土方さんのこと怒らせてしまったからこんな目にあうのかなって思いました」
随分本音を隠していたらしい。
俺は、を絞め殺してしまうところだった。
「山崎さんがちょうどお酒の追加が必要になって食堂に来てくれたので、土方さんを連れて行ってくれたのですが、
宴会場へお酒を持っていって沖田さんと話していたら、土方さんに、その……押し倒されて」
「マジかよ……人前で俺がそんなことを」
は俯いたまま、小さく頷いた。
総悟に嫉妬して、勢いで押し倒したのか。
「最低だな、俺は。酔っぱらって記憶もなくして二日酔いで」
「い、いいえ、そんなことはないです」
「否定すんなよ。のこと傷つけて何やってんだか」
「私は、その、土方さんが私のこと欲しいのなら、人前でも、気にしません」
本気でそう思って言っているわけがない。
膝の上で俺が握っていない方の手が、拳に力を入れている。
「、嫌なことは嫌だとはっきり言ってくれ。じゃなきゃ俺たち対等になれねぇよ」
「対等でないと、駄目ですか」
「俺は、と対等でいたい。に嫌なことは我慢してほしくない。俺が駄目なところは直したい。
俺がと一緒にいて嫌な思いをすることなんて、今まで一度もなかった。それはがいつも俺を気遣ってくれているからだろ。
一緒にいて、互いに自然体でいられることが理想なんだ」
「自然体……」
「わかって、くれるか? ……いや、これも俺が強いているのか」
は首をかしげる。
伝わらなかったか。それも仕方がない。
まだまだ俺たちには絆を強くする時間が必要なのだ。
首をかしげたままのは、思案しているようだ。
その姿が愛おしくて我慢できず、力いっぱい抱きしめた。
そして、昨晩、俺の力が強すぎてを苦しめてしまったことを思い出し、力を抜いた。
「悪ぃ、また加減できなかった」
「いいえ、大丈夫です。でも……」
「でも、なんだ?」
「土方さんが望んでも、やっぱり人前は嫌です。二人きりの時なら、いい、です」
は俺にしがみついてくる。
の本音が聞けたことに安心した。
「それでいい。そうやって、言ってくれた方がいい。もう二度と人前でそんな真似、しねぇよ」
「はい。でも、手は……繋いでもいいですか」
「あぁ」
対等になるにはまだ時間がかかりそうだ。
でも大きな一歩を踏み出した気がした。
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煮え切らなかったなー。
「好き」と普段から伝えていないことに気づき、空回りする土方さんの話でした。
お題はOTOGIUNIONさんからお借りしました。