[ 広い月の背 ]





休日の日課。公園のお散歩。
天気もよくて気分もよかった。
そのままいい気分のまま屯所へ帰るはずだった。
林の間の通路に、見慣れた後ろ姿を見つけて駆け寄ろうとした。
が、一人でないことに気づいて、足を止めた。

誰だろう。
随分背の低い人と話しているようで、土方さんは顔を少し下へ傾けている。
相手の人の顔が見えるところへ移動して、息を飲んだ。
女の子の土方さんを見る目がキラキラと輝いている。
すぐにわかった。
この人は土方さんに恋をしている。私と同じ。土方さんのことが好き。

土方さんの表情は見えないけれど、こんなにかわいらしい人なのだから嫌いになるわけがない。
嫌いな人と、こんなふうに向き合って話すことはない。
だから、逆。好きだから、きちんと向き合って話している。
最近、私と一緒にいる時間がないのは、この人がいるからなのだ。
もう、私と一緒にはいたくないのだ、きっと。

事実を突きつけられて、胸が苦しくなる。
絶対に泣きたくない。そう思ったけれど、屯所に足を踏み入れた瞬間、ぼろぼろと涙がこぼれた。
ハンカチで涙を拭った。
私が泣いているときに慰めてくれる人はここにはいない。もう私の隣には来てくれない。
夕陽の沈もうとする西の方角を眺めていると、後ろから声を掛けられた。


さん? お帰りなさい」
「山崎さん、ただいま戻りました」
「元気ないですね。お散歩で疲れましたか? 目も赤いですし」
「えぇ、そうみたいです」


軽く会釈して、屯所の離れへ戻った。
また涙が溢れて止まらない。
部屋で畳の上に突っ伏した。
泣き疲れて、その日はそのまま眠ってしまった。





それからしばらく経ったある日、屯所の玄関を箒で掃いていると、着流し姿の土方さんが屯所の外へ向かっていた。
堂々と歩かず、気配を消しながら壁際を歩いている。
あまりにも不審なので声を掛けたら、肩を大きく強張らせた。
声を掛けない方がよかったらしい。
どうして私は声を掛けたのだろうか。


「土方さん、お出かけですか?」
「お、おう。か。ちょ、ちょっと、野暮用がな」
「そうですか。いってらっしゃいませ」
「お、おう。行ってくるわ。じゃあな」


土方さんは、終始、慌てていた。
私に、声を掛けられたくなかったのだ、きっと。
彼女とデートなのだ。デートの前に私の顔を見たくなかったのだ。
悪いことをしてしまった。
私は土方さんに嫌われるしかないのだ。

肩を落として土方さんの背が見えなくなるまで見送った。
姿が見えなくなると、涙が込み上げてきた。
仕事中だから泣いては駄目。
ぐっと歯を食いしばって俯く。
箒をぎゅっと握りしめる。
ふと、爪先の少し先に黒い物が見えた。
顔をあげると、山崎さんが困った顔をして立っていた。


さん、どうしたんですか? この前から元気ないですよ。あぁ、今日は副長がお休みなのに、さんは仕事だからですか」
「いえ、そんなことは。今日も元気ですよ」
「でも……今にも泣きそうな顔をしてますよ。副長と何かありましたか?」
「いいえ、何でもありません。……ごめん、なさい」
「ちょっとさん!? なんで泣くんですか!! 俺のせいですよね、ごめんなさいぃぃぃ」


我慢の限界だった。
誰かの前で泣きたくなかった。でも、堪えられなかった。
山崎さんに促されて、縁側に腰掛ける。
座って泣いていると、少し心が落ち着いた。
早く泣き止まないと、隣にいる山崎さんを困らせたままだ。


さん、俺には話を聞くことくらいしかできませんけど、話したら少しスッキリするかもしれませんよ。
 あ、でも、話したくないなら無理に話さなくていいです。こういうときに限って、副長いないんですね」
「土方さんは、これからデートなので」
「ふ、副長がさん以外とデートって、浮気ィィィ!?
 ありえないですよ。さんのこと好きで好きでどうしたらいいかわからないと言ってる人が……」
「そんなこと、言うわけないです」
さんのこと、こんなに悲しませて呑気に外へ出ていくなんてどうかしてますよ。ちょっと行ってきます」
「どちらへ?」
「俺は監察ですからね。副長のこと、調べてきます。任せてください」


山崎さんは笑顔で屯所から出ていく。
今日の仕事はいいのだろうか。
私は私の仕事をしなければ。泣いてばかりでは駄目だ。シャキっとしなければ。雇われている身なのだから。





夜空に星がきらめくころ、山崎さんにこっそり呼ばれて副長室で膝を突き合わせて話す。
部屋の主がいないのにこの場所へ来たのには理由があるのだろう。
障子は開いたまま、山崎さんは穏やかな表情で口を開いた。


さん、副長は浮気なんかしてませんよ。さんに誤解されないように、彼女を振りに行ってたんです」
「振りに……」
「はい。さんは栗子ちゃんの顔を知らなかったんですね。彼女は松平のとっつぁんの娘さんです」
「松平様の娘さん、ですか」
「ひょんなことで惚れられて、とっつぁんの娘さんだから無下にもできず、
 嫌われるような映画を見たり、嫌われるような飯を食ったりしたけども、恋は盲目といいますか……」
「そう、だったんですね。私の早とちりでしたか」
さんは何も悪くないですよ。さんが悲しむようなことをした副長が悪いんです。
 俺が話しておきますから、埋め合わせに何かおごってもらってくださいな。」


そんな必要はない、そう伝えようと口を開きかけたら、庭から怒鳴り声がして耳を塞いだ。


「おい、山崎!! どこで、誰と、何やってんだァァァ!! 仕事しろォォォ!!」
「ふ、副長!! 副長が浮気してるとさんから聞いて、副長の誤解を解こうとさんに説明してたんですよォォォ」
「お前、俺をつけてたのか? マジかよ、全然気づかなかった……」
「それだけ必死だったんですよね、さんに誤解されないように、できるだけ栗子ちゃんを傷つけずに振るために。
 でもその分、さんも傷ついてるんです。これで俺は下がりますから、後は二人で話してください」


山崎さんは立ち上がり、土方さんの視線を浴びながら食堂の方へ向かった。
もう夕飯の時間だ。私も給仕に戻らなくてはならない。
でも、体が動かなかった。安心して、力が抜けてしまったらしい。
土方さんは縁側で靴を脱ぎ、部屋に入って障子を閉めた。
土方さんの表情は穏やかだけれど、少し疲れているように見える。


「言い訳はしねぇよ。誤解を招くようなことした俺が悪いんだ。
 よかれと思ってやったことが、周りを傷つけるだけで何にも得るものが無かった。埋め合わせさせてくれ」
「いいえ、何もしなくていいです。私も勘違いして申し訳ありませんでした」
が謝るこたねーよ。俺が悪いんだ。何でも言うこと聞くよ。欲しい物があるなら言ってくれ」
「いいえ、何もいりません。……私が欲しい物は、きっと手に入れられないものだから」
「何だよ。俺じゃ手に入れられない物なのかよ」


頷けば土方さんが傷つく。
だから、何も言わずに俯いた。
膝の上でぎゅっと握った両手の上に、土方さんの手が重なる。

「言わなきゃ、わかんねーよ。何が欲しいんだ?」
言おうとしたら、口の中がカラカラに乾いて声が出ない。
ごくりと唾を飲み込んだ。言葉は飲み込めず、口の中に留まった。


「土方さんと、もう少し一緒にいる時間がほしい。
 今日、栗子さんとお出かけしたみたいに、映画を見に行ったり、ご飯を一緒に食べたり、したいです」
「そんなもん、いつだってでき……できてねぇよな」


土方さんと一緒に出かけたのはいつのことだったろうか。
土方さんと二人でゆっくりご飯を食べたのはいつのことだったろうか。
互いに思い出せなかった。
土方さんの手が、私の手の甲から離れていく。
顔をあげれば、土方さんは俯いていた。


「気にしないでください。私が欲張りなだけなんです。同じ屯所で暮らせるだけでも幸せなことなのに、もっと、もっと、と思ってしまうんです」
「俺がもっとのために時間を用意できれば、そんなふうに思うことだってなくなるのにな」
「いいんです。土方さんのお休みは、土方さんの好きなことに使ってください」
「だったら、俺はと一緒にいたい。晩飯はこれから食うだろ? 久しぶりに一緒に食おう」
「あの、私、まだ給仕と朝食の仕込みが……」
「なら、終わるの待ってるから、声掛けてくれ」
「でも、終わるの遅くなりますよ。お腹空きませんか」
「待ったら、と一緒に飯食えるんだろ。それなら腹減っても我慢するよ」
「すぐ、片づけてきます」


土方さんはゆっくり頷く。
私は急いで食堂へ向かった。











慣れないことをすると疲れる。
が部屋を出て行き障子が閉まると、畳の上に寝転がった。

屯所に帰ったらに癒してもらうつもりだった。
顔を見て、声を聞いて、あわよくばそのまま抱き枕にして眠りたい。そう思っていた。
自分のことしか考えていなかった。

俺が浮気していると思って、随分傷ついたのだろう。もしかしたら泣かせてしまったかもしれない。
自分が癒されるよりも先に、の心の傷を癒さないといけない。
一緒に飯を食うだけで癒すことができるとは思えない。
俺にできることは何かないだろうか。

そんなことを考えているうちに、眠ってしまった。

「しまった! 眠っちまった!」
慌てて飛び起きてもの姿はなかった。
まだ、仕事は終わっていないのか。再び畳に体を横たわらせると、小さな寝息が聞こえた。
顔を横に回すと、が眠っていた。

待たせてしまった。
俺に遠慮して、起こさずに待ってくれていたのだ。
待ちくたびれて、隣で眠ってしまったのだ。

手を伸ばせばすぐに触れられる。
頭を撫でて、髪を手で梳く。
額や頬を撫でていると、まつげが揺れた。ゆっくりと瞼が開く。
少しかすれた声が聞こえた。


「あ……、ひじかたさん。すみません、わたし、ねむってましたか」
「謝るのはこっちだろ。待つって言っときながら眠っちまって、のこと待たせてしまった」
「いいえ。土方さんの隣にいられて嬉しかったです」
「飯、食うだろ?」


起き上がろうとすると、の手が俺の体に触れてそれを止めた。
は穏やかな表情でこちらを見ている。


「もう少し、このままでもいいですか」
「腹減ってないのか?」
「空いてますよ。でも、もう少しこのまま、土方さんと一緒にいたい」
「どうせなら、こっちこいよ」


の体に腕を伸ばし、抱き寄せる。
俺の、いちばん落ち着く場所。
ゆっくりとの手が俺の背を撫でた。


「ごめんなさい。土方さん、お腹空いてますよね。お疲れみたいだから、すぐ休みたいですよね」
「いいんだよ。がしたいようにしてくれりゃ。それに、俺もともう少しこうしていたい」


は俺の胸に顔を押し付ける。
いつも、こうして甘えてくれればいいのに。
俺には遠慮してばかりで、わがまま一つ言いやしない。
自分のことばかり考えている俺とは大違いだ。


「土方さんと一緒にいると、とてもあったかくなるから、好き」
「俺のことが好き、じゃなくてか」
「そ、そんなことはないです。土方さんのこと、好きです」


は俺の体に強くしがみついてくる。


「からかって、悪かったな」
「いえ、とんでもないです」


結局、「俺も好きだ」と言えなかったけれど、はこちらを見て微笑んだ。










※お題はalkalismさんよりお借りしました。




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アニメオリジナルのあの話、土方さんの演技力の高さが半端ない……。
山崎にいい仕事してもらってます。

私の中の土方さんは、ひとりよがりなところがあって。
それに気づいて落ち込んだりするところが、ヘタレなのか優しいのか。


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