[ 夏 の庭に 星 が降る ]
昼間は三十度を超える暑さに参るが、夜になると日差しが無い分過ごしやすい。
風呂上がりに廊下を歩いていると、正面からが小走りにやってきた。
普段より嬉しそうな顔をしている。
「土方さん! 明日の夜はお仕事ですか?」
「明日? 明日かぁ、とっつぁんに呼ばれてるから帰るのは遅くなるだろうな。なんかあるのか?」
「そう、ですよね。いいえ、なんでもないんです。お疲れのところ、呼び止めてすみませんでした。おやすみなさいませ」
「おう、おやすみ。も早く寝ろよ」
俺が仕事だと言えば、あからさまに肩を落とした。
一体、明日は何の日だというのだ。
の誕生日でもない。他の誰かの誕生日でもない。
言わないのは大した用事ではないから、か。
そう思いながら自室で布団の上に横になる。
の笑顔は一瞬だけだったな。
もう少し、見ていたかった。
瞼の裏にずっと映るのは、肩を落としてハの字に眉を曲げたの姿だった。
とっつぁんのところにいけば、夜はすまいるに連れ出されるのは決まっている。
今日も酒を飲まされ、早く屯所に帰りたくて仕方がない。
が酌してくれるわけでもないのに、いい酒が飲めるわけがない。
近藤さんは、変わらずキャバ嬢にご執心だ。
「お妙さーん、今から河原に行きましょう。二人で愛の逃避行〜」
「私、仕事中なんで。すいませーん、ドンペリ一本お願いします」
「じゃあドンペリ飲んだら行きましょう。二人の愛の花火を打ち上げに行きましょう!」
近藤さんを無視して、キャバ嬢こと志村姉は俺に話しかけてくる。
「土方さんこそ花火大会に行かなくていいんですか?」
「はァ? 警備は他の連中に任せてるよ」
「そうじゃなくて。さんと一緒に行かなくてよかったのですか?」
「と?」
「えぇ。町内会の掲示板に私がポスターを貼ってたらさんが通りかかって、行ってみたいと言ってましたよ。
花火を間近で見たことないんですって。
だから、土方さんを誘って二人で行ってみたら、って言ったんですけど、きっと仕事が忙しいから無理だって」
「の誘いなら断る理由がねぇ……、あ……」
昨晩のことを思い出す。
明日の夜は仕事かと尋ねてきた。
俺の予定が空いているか確認したかったのだ。
もし俺が外に出る仕事がなかったら、暇だと答えてたら、花火大会に行きたいと言っただろう。
なんでもないと答えたを、俺が深く追求しなかったせいだ。
なんでもなかったら、俺に声を掛けたりしないだろ。
何でそんなことに気づかなかったんだ。
「昨日に、夜は仕事かと訊かれて、仕事だから帰りは遅くなるって答えたら、がっかりしてた。
俺と一緒に行くつもりだったんだ。全く、気づかなかった」
「ずっと前から楽しみにしてて、いつもポスターを眺めてましたよ。花火大会のチラシを作って渡しに行ったときは、とっても喜んでくれて。
花火大会用に新しい浴衣を一緒に買いに行きましょうって誘ったんですけど、もったいないって断られちゃいました」
「知らなかった。そんなに、楽しみにしてたのか……」
「悪い、トシ! その話はお妙さんから聞いてたんだが、いつも酔っぱらってトシに伝えるのを忘れていたんだ」
「いや、近藤さんが謝るこたねーよ。気づかなかった俺が全部悪い」
「今からでも間に合いますよ、土方さん。まだ三十分はやりますから」
すまいるを飛び出し、花火を打ち上げている河原へ向かう。
走ると酔いが回って気持ち悪くなる。
でも、が俺のことを待っていると思えば苦ではなかった。
地響きにも似た重低音が腹に響く。
花火があれば街灯なんていらないくらい明るかった。
真選組の車両の近くにいる隊士に訊いても、を見たという者は一人もいなかった。
何千人もいる中、を見つけられる自信は、無い。
クライマックスに向けて大きく派手な花火が上がる。
橙の光が前から歩いてくる男の顔を照らす。
見慣れた、嫌な顔。男女のガキを連れて、わたあめをむさぼっている。
「あれ、土方くん来たんだ?」
「てめーに用はねぇ、万事屋」
「俺は大アリなんだけどォ?」
「何だよ、急いでんだ」
「てめーが来ねぇから、が来なかったんだよ。迎えに行っても顔すら見せてくんねぇし」
「なんで、てめぇが……」
「あァ? お妙が心配してたんだよ。が土方くんをちゃんと誘って来られるかって。
だから、誘えてなかったら、二人を連れ出して来ようって思ってたんだよ。
でも、土方くんがいないなら行かないって、女中さんも困った顔してた」
「そうか」
どれだけ俺は駄目な男なんだ。
俺が花火大会に興味を持たないことをわかった上で、俺とが二人で行けるように根回しまでされて、
それでも俺のせいで、がずっと前から楽しみにしていたことを、台無しにしてしまった。悲しませてしまった。
もうこれ以上こいつの顔は見たくなかった。
今から屯所に戻ってを連れてきても、花火大会は終わってしまう。
土手から降り、屋台でりんご飴を買って屯所に帰ったが、はもう眠ってしまっていて会えなかった。
起きていた女中にりんご飴を渡す。
「土方さん、来年は一緒に行ってあげてくださいね。
ちゃん、随分前から土方さんを誘おうとしてたんですけど、仕事の邪魔しちゃ悪いからって直前まで誘えなかったんですって。
早く誘っておけばちゃんの為に仕事なんて入れないはずなのに、と言ったんですけどね」
「俺が無関心で迷惑掛けた。そういうときは、俺にも教えてほしい」
「えぇ、そうしますね。私たちも、ちゃんの悲しむ顔は見たくないもの」
明日、に何と言って謝ればいいのだろう。あわせる顔が無い。
そんなことを考えていたら、ほとんど眠れないまま朝を迎えてしまった。
すっきりしない頭のまま、道着に着替えて廊下を歩いていると、背後から呼び止められた。
振り返ると、すがすがしい笑顔でかっぽう着姿のが立っていた。
「おはようございます。昨日は申し訳ありませんでした。
私が変な意地を張って花火大会に行かなかったら、土方さんにご迷惑をお掛けしました」
そう言って頭を下げる。
は何も悪くない。謝るのは俺の方だ。
「打ち上げ花火、間近で見たことないんだってな。俺と一緒に見に行こうとしてたんだろ。気づかなくて悪かった。
が自分から誘ってくることなんてほとんどないのに、なんで聞き出して一緒に行かなかったんだって後悔してる。本当にすまなかった」
「とんでもないことです! 私がちゃんと行きたいと言わなかったから。急に言われても土方さんが迷惑するだけって気づかなくて、ごめんなさい。
りんご飴、おいしかったです。ありがとうございました。あの、来年は……」
「来年は、俺と一緒に花火見に行ってくれるか?」
「はいっ! ぜひご一緒させてください」
目を輝かせて、口元を緩めて喜ぶ。
来年も、の傍にいられるように、そう願う。
に埋め合わせをしたかったが、欲しい物も食べたい物も何もないと言われれば手の打ちようがない。
わがままを言わない。欲が無い。ただ、俺と一緒にいられればそれでいいのだと。
困り果てて市中の見廻りに出ていると、スーパーの前で子供が駄々をこねていた。
「お母さーん、花火買ってよー! おうちでやりたいよー!」
「ダメ。昨日、おっきな花火見たでしょ?」
「線香花火やりたいよー」
「夏休みの宿題が終わったらね」
「わかった! 僕がんばるよ」
打ち上げ花火だけが花火ではない。
何の埋め合わせもしないよりはマシだ。
スーパーで花火のパックを一つ買った。
こんなものでが喜ぶとは思えない。いらないと言われれば、子供がいるパートの女中にでもあげよう。
夕飯を屯所の食堂で食べ、給仕をしていたに声を掛ける。
今日の仕事が終わって夕食を食べ終えたら、俺の部屋に来てほしい、と。
は小さく頷き、他の隊士へ丼ぶりを渡し続けた。
バケツに軽く水を汲み、庭に置く。
縁側に腰掛けて煙草を吸ったが、気持ちは落ち着かなかった。
と過ごせる時間を大切にしたい。だが、それほど時間を捻出できていない。その上、自らと過ごす時間を捨ててしまった。
こんな花火でを喜ばせられるとは思えない。傷つけた心を癒せるとは思えない。
とはいえ、全部自分のせいだ。だから、何が起きても全部受け留める。
気配がして振り返ると、盆の上に湯呑みを一つ載せたが立っていた。
くつろいでいる俺を見て、ハの字に眉を曲げた。
「申し訳ありません。お酒の方がよかったですね。すぐに用意します」
「違うんだ。に来てほしかっただけなんだ。茶はもらう」
「私に、用ですか?」
「あぁ。花火、しようと思って。昨日、行けなかっただろ?」
「花火を、する? ここで、ですか?」
花火のパックを見せたが反応が無い。はゆっくり首をかしげる。
もしかして、花火をしたことがないのか?
は小さく頷く。
「近藤さんに許可はもらった。一応火薬だからな。こうやって、ろうそくの先の火をつけたら、ほら」
「わぁ、すごい!」
パックから取り出した一本の花火に火をつけた。
ザーっという音と共に、流れるように花火が弾けて庭を明るく照らす。
持ち手をへ差し出すと、受け取ってくれた。
小さく声をあげながら、笑っている。
喜んでくれたようだ。
ほっとして、気が抜けてしまった。
気が付くと、悲しそうな目をしたがこちらを見ていた。
「土方さん、花火終わっちゃいました」
ただの棒切れを困ったようにこちらへ見せる。
水を張ったバケツを指さすと、そっと中へ入れた。
「ほら、次あんだろ」
次の花火を取るよう促すと、はさっきとは別の物を選んで火をつける。
違う花火の色と形を楽しんでくれているようだ。
は終始笑っている。
の顔を眺めていると、急に目が合った。
「土方さんはやらないのですか?」
「あ、あぁ」
「やりましょうよ」
は自分の花火の火の粉がかからないように気を付けながら、俺の分の花火をパックの中から取り出して俺に渡す。
差し出されたそれを受け取ると、は俺から離れていく。
「ちょっと待て」
「え?」
「こういうときは、こうするんだよ」
ろうそくの火ではなく、の花火から火をもらう。
二つの違う花火が重なると、は声をあげて喜んだ。
「私の花火をわけっこですね」
「そうだな」
「綺麗ですね」
「あぁ」
花火なんてどうでもよかった。
ただ、がずっと笑っていてくれることが嬉しかった。
花火なんてちっとも見ていなかった。
ずっとの顔ばかり見ていて、人の気配に気づかなかった。
「おお、二人でやってるのか。楽しそうだな」
「二人きりでこそこそズルいでさァ」
「近藤さん! 沖田さん! 初めてやったのですが、とっても楽しいです」
「そりゃあ、の表情を見ていたらわかるよ」
「土方さんは相変わらずの仏頂面ですけどねィ」
「うっせーな、総悟! っつーか、黙って花火持ってくな」
「沖田さんも一緒にしたら駄目ですか?」
に言われたら、駄目とは言えない。
黙っていると、総悟は「ありがとうございやす、土方さん」と厭味ったらしく言い、の持つ花火から火をもらっていた。
どうせなら近藤さんもと思ったが、山崎が酒を運んできたからやめた。
と総悟と山崎は、子供のようにはしゃいで花火をしている。
俺は縁側で近藤さんと酒を飲んでいた。
「が喜んでくれてよかったな」
「あぁ、そうだな」
「夏祭りは、来週だっけ」
「祭り? あぁ、そういや、そうだったな」
「今度は、ちゃんと二人で行くんだぞ」
「あぁ、わかってる」
夏らしいこと、もう少ししてやらないと。
笑顔で山崎と談笑しているを見ていると、近藤さんが大きな声で笑った。
「トシも総悟も、花火じゃなくてばかり見てるぞ」
「な、何言いだすんだよ、近藤さん!」
「いや、だってそうなんだから仕方がないじゃないか」
は目を丸くして驚いていたが、小さく笑った。
総悟はあっけらかんとしている。
「だって、さんがあまりにもいい顔してるから、見ないわけにはいかないでしょう?
花火なんかより、さんの笑顔の方が何倍も綺麗でさァ」
「お、沖田さん! 花火の方が何倍も綺麗です!」
「そうですか? まぁ、こういうのは、俺に言われても嬉しくないですよね。
でも、ヘタレの土方さんが、俺の後に、しかも俺たちがいるのに言えるわけないでさァ」
「うっ、……それは、その……」
結局、言えなかった。
笑顔が綺麗だと。その笑顔をずっと見ていたいと。
何も言えない俺を、は黙って見ていた。
期待はずれでがっかりしただろう。
それでも、は小さく微笑んでくれた。
俺が言えなかった言葉を、受け取ってくれたようだ。
いつの間にか花火のパックの中は、線香花火の束だけになっていた。
山崎はそれをばらして皆に配る。
「さぁ、誰が一番長持ちするか競争しましょう」
「長持ち?」
「そっか、さんは初めてやるんでしたね。線香花火はテクニックがいるんですよ」
猪口を盆の上に載せ、線香花火に火をつける。
火花が大きくなり、激しく花開いた後、柳のように流れていく。
中心にあった火玉は落ちずにすっと消えていった。
それと同時に拍手が起きる。
俺以外の皆が、こちらを見ていた。
「さすがトシ! 俺はすぐ玉が落ちたよ」
「私もです。難しいですね。でも、とても綺麗でした」
「線香花火だけ買う人もいるくらいですからね。副長、今度線香花火だけ買ってきてやりましょうよ」
「お前が買ってこいよ!」
「いやいや、副長が買ってきた花火だからさんは喜んでくれたんですよ?」
「誰が買ってきても同じだろ」
「それじゃあ、俺が買ってきやすんで、土方さん、金出してくだせェ」
「てめーの財布から出せよ!」
が笑っている。
それにつられて皆笑う。
ほんの少し、の心の隙間を埋めることができただろうか。
夏の思い出を、少しでも多くに作ってやりたい。
まだ、夏は長い。
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最近は夏の野外ライブの締めの花火で満足してますし、
近所の花火大会はその夏フェスとかぶっててほとんど家にいないし。
パックの花火も大学生の頃にバイト先の人たちとやって以来かなぁ。
高級な線香花火があるらしいので、ちょっとそれやってみたい。