[ blue moonlight drops ]





五月一日、メーデーで騒がしい大江戸公園。
五月二日、一日だけ出勤すればまた三連休な日。真選組で住み込み女中をしている私には関係のないこと。
五月三日、憲法記念日。憲法改正案について議論している隊士がいた。私も一緒に話を聞いたが、良いか悪いか判断できなかった。
五月四日、みどりの日。自然に親しむために公園へ出かけると、ベンチでアイマスクをして昼寝をしている沖田さんに会った。
制服姿のまま、堂々とサボりをきめているらしい。
私が近づくと、気配を感じたようでアイマスクをずらして丸い目を瞬かせる。


さん。お散歩ですかィ?」
「えぇ。みどりの日なので、木や花が見たいと思いまして」
「屯所のじゃ不満なんですね」
「いいえ、そんなことないですよ。運動と休憩がてら、です。あと、買い出しも」
「明日のですか。こういうときは、土方さんがうらやましいや」
「土方さんがどうしたのですか?」
「え?」


体を起こした沖田さんは、理解していない私に驚いて目をパチパチを瞬かせて黙ってしまう。
何か思案しているようだ。


「知らない方がいいですよ。と思ったんですが、後でさんに叱られるのも嫌なんで言っちゃいますけど」
「私が沖田さんを叱ることなんてありませんよ」
「いやいや、絶対叱りますって。どうして教えてくれなかったんだーって」
「もったいぶらないでくださいよ。明日と土方さんに何の関係があるんです?」


どうしてそんな大事なこと知らなかったのだろう。
でも、よく考えれば、自分で言いふらす人でもないし、どんちゃん騒ぎをするのが苦手な人だ。
きっと毎年、一人でお気に入りの定食屋でお酒でも呑んでいたのかもしれない。

「明日は鬼の副長の誕生日ですぜィ」

よかった、教えてもらって。
知らないまま明日を迎えたら、土方さんにとても失礼なことをしてしまったに違いない。
大慌てで屯所に帰ったが、なかなか土方さんには会えず、会えたのは夕食の後だった。


「土方さん」
か。どうしたんだ?」
「あの、明日……」
「明日?」
「明日はお仕事ですか?」
「あぁ、昼から松平のとっつぁんに呼ばれてるな。どうかしたのか?」
「あの、晩御飯、食べに行きませんか? 土方さん、お誕生日なんですよね。何か、お祝いがしたいんです」


土方さんを誘うのは苦手だという感覚はいつまで経っても消えてくれない。
仕事の邪魔をしたくない。迷惑だと思われたくない。私のことで疲れさせたくない。
返事が怖くて震える指先を、反対側の指先でぎゅっと掴み俯いた。
土方さんの掌が、私の手を持ち上げる。


「ありがとな。明日はなるべく早く帰る。でもな、俺は外に行くよりが作った飯の方が食いたい」
「でも私、料亭で出されるようなもの、作れません」
「何でもいいんだよ。が作ったものなら、何でも構わねぇ。それで、二人でゆっくり食えればいい」
「何か、召し上がりたいものはありませんか。頑張って、作ります」
「改めて訊かれると、困るな……」


土方さんは私の両手を引き離し、土方さんの手と繋がせた。
庭の方を見やり、考えているようだった。
その目線をこちらに向けると、柔らかい表情をしてくれた。


が食いたいものでいい。お前が好きなもん食って、満足してる顔が見れればそれでいい」
「土方さんのお誕生日なのにですか?」
「あぁ。その方がいい」


土方さんは繋いだ手を離し、私の頭を撫でた。
明日は早いから、もう風呂に入って寝るようだ。


「おやすみ。明日、楽しみにしてる」
「おやすみなさいませ。明日は精一杯お祝いします」


土方さんの背中を見送り、大きく息を吐いた。
緊張した。でも、誘ってよかった。
何を作ろうか。考えだしたらなかなか寝付けず朝を迎えた。











本当に私が食べたいものでいいのだろうか。
そう思いながら卵焼きの横に大根おろしと紫蘇を添える。
野菜の天ぷらを盛り付け、大豆とひじきの煮つけを鍋からよそった。
隊士たちの食事を作り終えた後、炊事場を借りて一人で調理していた。
一人、また一人、隊士が食事を摂り終えて去っていく。
自分たちの食事も後片付けも終えた女中たちは、離れや自宅に帰っていく。

土方さんは早く帰ると言っていた。
けれど、きっと用があってまだ帰れないのだ。
食べずに待った。
私が満足して食べている顔が見たい、と。
そんなもののどこが土方さんへの誕生日祝いになるのだろうか。

贈り物は用意する時間がなかった。
改めて、次の休みに買いに行こうと思う。
冷めた茶をすする。
食堂の扉を開く音に顔をあげると、そこに待ち人の姿はなかった。


「あれ、さん。まだいたんですかィ」
「沖田さん、でしたか」
「もう店じまいですよね。こんな時間に一人でいたら、襲われますぜィ」
「まだそんな時間ではないでしょう?」
「もう十一時回ってますよ。ちょっくらマヨネーズに仕込みをしにきたら明かりが点いてるもんだから、驚きやした」
「もう、そんな時間ですか」


食堂の壁に掛けた時計を見ると、確かに十一時を過ぎていた。
遅い。遅すぎる。
何かあったのだろうか。
事件で徹夜することになったのだろうか。
それなら沖田さんもいないはずだ。


「それじゃお先に。おやすみなさい。さんも早く寝てくだせェ」
「おやすみなさいませ」


沖田さんの姿が見えなくなると、急に不安になる。
土方さんの身に何かあったのかもしれない。
手が震える。
食いしばっても歯がガチガチと音を立てる。
涙が、溢れて止まらない。

土方さんに何かあったらどうしよう。
土方さんがいなくなったらどうしよう。
土方さんに会えなくなったらどうしよう。

そんなの、嫌だ。

沖田さんに、土方さんを捜してもらおう。
立ち上がり涙を腕で拭うと、食堂の扉が開いた。
ずっと待っていた人。
息を切らしている。
こちらを見て、驚いているようだ。


「お、おい、まだ起きていたのか」
「だって、土方さんのお祝いするって、約束したじゃないですか……」
「何泣いてるんだよ。どうしたんだ、。どこか痛いのか」
「土方さんが、帰ってこなくて、何かあったんじゃないかって、不安で、怖くなって」
「悪い。とっつぁんに捕まって酒呑まされてたんだ。ようやく逃げ出せたんだが、こんな時間になってしまってな」
「ご無事で、何よりです」


土方さんの顔を見たら安心して、余計涙が止まらなくなった。
そんな私を見て土方さんは困っているだろう。
そっと抱きしめてくれた。


「遅くなって悪かった。腹減った。飯、あるんだろ?」
「もう冷めてしまいましたから、温めます」
「いいよ、俺がやる。もう寝る時間だろ」
「私も、一緒に食べますから」


土方さんの腕の中から抜け出して炊事場に向かおうとすると、土方さんは少し怒ったような口調で私の背中に声を投げつける。


「食ってなかったのかよ、こんな時間まで」
「土方さんと一緒に食べたかったんです。お祝いしたかったんです。迷惑でしたか?」
「んなわけあるかよ!! 嬉しいに決まってんだろ!!
 でもな、自分の体のことも考えろ。明日、働けねぇだろ。俺の誕生日なんてどうでもいいんだ」
「どうでもいいなんてことないです!! 大切な日です!!
 たくさん祝ってもらって、もう飽きてるかもしれませんが、私にとってはとても大切な日なんです。
 土方さんが生まれてこなかったら、私は土方さんに会えていないんです。毎日こんなに幸せなのに、それが無いなんて嫌なんです!!」


喚き散らして土方さんに迷惑を掛けている。
土方さんはお腹が空いているというのに、土方さんにとってどうでもいいことで時間を潰してしまっている。
私の気持ちなんて、どうでもいい。
今日は、土方さんの誕生日なのに、喜んでもらえそうにない。
こんなつもりじゃなかったのに。
日頃の疲れを癒してもらいたかった。
それなのに……。

天ぷらと卵焼きはレンジで温め直す。
ひじきの煮つけは鍋に戻して火にかける。
コンロの前でぼーっと立っていると、ふいに後ろから抱きしめられた。


「ほとんど祝ってもらっちゃいねーよ。総悟に誕生日祝いだっつってバズーカぶっぱなされたくらいだ。
 自分が生まれた日でもないのに、俺の誕生日を大事にしてくれて、ありがとな」
「土方さん……」
「ほら、ぐつぐつしだしたぞ」
「あ、はいっ」


コンロの火を消すと、土方さんは私の体を離し、炊飯器から白飯を茶碗によそいだす。
それは自分の仕事だからと慌てて止めようとしたが、断られてしまった。
これくらい自分にやらせてほしい、と。


の近くにいてぇんだよ」
「だったら、そこで待っててください。土方さんに手伝ってもらうなんて悪いです」
「いいんだ、俺がやりたいだけだから。早く、が作った飯、食いてぇんだよ」


白飯をよそった茶碗を土方さんは私へ差し出す。
トレイに茶碗と皿を並べる。
土方さんは自分の分のトレイを持って席につく。
私もそれに倣って土方さんの向かい側にトレイを置くと、土方さんは不満げな視線をこちらに向けた。


「なんで、前に座るんだ?」
「え? では、私はどこに座ればいいのでしょうか」
「こっちだ」


土方さんは自分の隣の席を叩く。
トレイを斜め前の席へ押し出し、テーブルをぐるりと回って土方さんの隣に座る。
カウンター席以外で、二人きりなのに隣に座ることは滅多になかったから違和感がある。
顔は見えないけれど、土方さんとの距離が近い。


「こっちの方が近くていいだろ」
「近い、ですね」
「顔がよく見える、だろ?」
「はい」


土方さんのトレイにマヨネーズが置かれていない。
慌てて立ち上がるが、土方さんに手を掴まれた。


「あの、マヨネーズが」
「いらねーよ」
「え? でも……」
「味が変わっちまうだろ。の隣で、と同じもん食わなきゃ意味ねーんだ」


土方さんは稀にマヨネーズをかけずに食べる。
逆に不安になる。私が作ったものは、マヨネーズをかけるに値しないのかと。


が作ったそのままの味で食いてえんだ。
 が食いたいもんでいいって言ったけど、これは俺の為に作ってくれたんだろ?」
「はい」
「だったら、このまま食わしてくれよ」
「はい」


土方さんは「うまいな」と言いながら、黙々と私の作ったご飯を食べてくれた。
余程お腹が空いていたのだろう。
食べてくれると嬉しい。
おかわりしてくれるともっと嬉しい。
でも、今日は、二人分しか作っていないし、ご飯を食べるには時間が遅すぎた。
食べ終わっても物足りなさそうにしている土方さんの横顔を見ていると、悲しくなってきた。


「おいしかった。ごちそーさん。この時間じゃなかったら、もっと食えるのにな」
「今から、何か作りましょうか?」
「とっくに寝る時間過ぎてるだろーが。そんなに自分を痛めつけんな」
「だって、土方さんのお誕生日なのに、私、ほとんどお祝いできてないんですよ」
「十分、祝ってもらった。こんなにうまいもん作って、遅くまで俺の帰りを待っててくれて、普通じゃできねーことだろ」
「でも……」


土方さんは私の頭の上にポンと手を載せる。もう何も言うな、と。
隣に座る土方さんの顔を見ると、顔を逸らされた。
私がいつまでもウジウジしているから顔を見るのも嫌になったのだろう。
俯いていると、土方さんがぼそぼそと小さな声で呟いた。
私が聞き間違えたのだろうか。


「だったら……その、ちゅーしてほしい」
「え? 土方さん? 今、何て?」
「一回で聞き取れよ! ちゅーしてほしいっつったんだ」
「え、ちゅーって。え、私が? 土方さんに? 接吻しろと?」
「嫌ならいいんだ。でも、いつも俺からしてるし、からしてもらったことねーから、たまにはしてもらいたいって思うんだよ」


私の頭の上に置かれていた土方さんの手はするりと降りて、土方さんの体の前で組まれていた。
首から耳まで土方さんの体が真っ赤になっている。
私がしてくれそうにないから、言いたくないのに勇気を出して言ってくれたのだ。


「目、閉じてください」
「あ?」
「こっち向いて目を閉じてください」
「して、くれんのか?」


うんうんと二回頷くと、土方さんはこちらに顔を向けて目を閉じた。
自分で言っておきながら、緊張してさっき食べたものが全部口から出そうだ。
震える手をぎゅっと握り、ゆっくり土方さんへ顔を近づける。
急に土方さんの目がぱちりと開き、驚いて体を後ろへ反らす。


「まだ?」
「や、やりますから! 目、閉じてください」
「わかった」


再び土方さんが目を閉じたのを確認して、そっと唇を重ねた。
当たり前だけれど、温かくて柔らかい。
唇を離すと、土方さんはぼんやりと前を見ていた。
どうしよう、失敗したのだ。あまりにも下手だったから、幻滅しているのだ、きっと。


「ごめんなさい。初めて自分からしたので、下手でしたよね」
「そうじゃねぇ。よすぎて言葉が出ねぇんだよ」
「よすぎて?」
「あぁ。もう一回、やってくんねぇか?」


私の返事を待たずに、土方さんはこちらへ顔を向けて目を閉じる。
ぎゅっと目を瞑って土方さんの唇に触れる。
土方さんの腕が背中にまわり、がっちりと固められて身動き取れなくなる。
顎を引いて唇を離したのに、今度は土方さんから唇に吸いついてくる。
ようやく唇を離してくれたと思えば、息が切れ切れになる。


「悪ぃ。つい、調子に乗っちまった」
「いえ……」
「ありがとな。今まででいちばんいい誕生日だった。日付、変わっちまったがな」
「あ、本当ですね」
「片付けて、寝るか」
「はい」


来年はもっといい日にできればいいな。
食器を流しへ運びながらそう思った。




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ラスト、きまらなかったなぁ。。。
土方さん誕生日おめでとう!
永遠の27歳ー、いいなぁ、この頃がいちばんいいよね。

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