[ 寒 空 の 椿 姫 ]





ここ数日は屯所内も猿吉小僧の話題でもちきりだ。
寒空の下、洗濯物を取り込んでいると、隊士たちの声が聞こえた。
万事屋の銀時さんも、盗品を換金して振る舞われたバナナを手にした、とか。


「最近、バナナが高いのはそのせいなのかしら……」
「そうなのか?」


独り言に返事があったので驚いた。
畳んで抱えていたタオルを廊下にばらまいてしまう。
見慣れた手がそれを拾い、一緒に畳んでくれた。


「ひ、土方さん、すみません」
「いや、を驚かせたのは俺の方だ。で、バナナが高いって?」
「ええ、あまり安売りしてません。あ、すみません、安くないと買わないわけではないのですが」


土方さんが畳んだタオルを受け取り、お礼を言って大浴場の方へ向かった。
なんだか今日は嫌な予感がする。
振り返ると、土方さんの姿はもうどこにもなかった。

夕刻、隊士へ夕食の配膳をしていると、外が慌ただしくなる。
土方さんが食堂にいる隊士たちを掻き集めて出動していく。


「いってらっしゃいませ……」


私の弱々しい声だけが食堂に響いた。





嫌な予感は的中するものだ。
住み込みの女中たちで朝食の仕込みをしていると、出動していた隊士たちが戻ってきた。


「お帰りなさい、みなさま」
さん、救急箱を早く!」
「は、はいっ!」


血相を変えた隊士にせかされ、医務室から救急箱を運ぶ。
医務室に怪我をした隊士を運べばいいのに、その人に拒否されたらしい。そんなにたいしたことがないから、と。
怪我人の分際で、と悪態をつきたくもなるが、つかなくてよかった。
頭から血を流しているのは土方さんだったから。


「土方さん!?」
「ん、ああ、か。大したことねェから気にすんな」
「流血していてそのセリフはどうかと思います」
「何怒ってんだ?」
「いえ、嫌な予感は当たるものだと思いまして」


タオルをぬるま湯に浸し、血で汚れた土方さんの顔を拭う。
傷口に沁みたらしく、土方さんが顔をしかめる。


「ごめんなさい、沁みましたか?」
「いや、大丈夫だ」
「少しの間、我慢してくださいね。ばい菌が入って膿んだら危ないですから」
「野郎の顔が汚れたってどうってことねぇよ」
「そんなことないですよ。土方さんの綺麗な顔が……」


土方さんの顔に触れている。
自分から触れることなんて無いから、あまりの恥ずかしさに血が上ってきた。
傷口が沁みる痛さを我慢しながら、私の顔を見て少しにやける土方さん。
無視して包帯をぐるぐる巻いていると、周りの隊士が大騒ぎしだす。
気が付くと、土方さんの顔面が見えなくなるまで包帯を巻いてしまった。


「あわわ、ごめんなさいいいい! すぐ解きます」
、俺をどうしたいんだ?」
「申し訳ありませんんんんん。怪我の手当てをしたいだけ。それだけです!!」


気を引き締めて怪我の手当てに集中する。
土方さんの額に包帯を巻き直し、目元に絆創膏を貼る。
顔から手を離すと、土方さんの手が私の手首を掴んだ。


「土方さん?」
の手、相変わらず冷たくて気持ちいいな」
「冷え性なもので」
「もう少し、触っとけ」


私の手の甲に土方さんは手を添えて、私の掌を土方さんの頬に当てる。
いつの間にか、周りに隊士は一人もいなくなっていた。
寒空の下、縁側に二人、向かいあって、私は土方さんの顔を直視できずに俯いた。

土方さんの空いた手が私の背中に回され、私の身体を前へ押し出そうとする。
抵抗しなかった私の体は土方さんの胸の中へ倒れこむ。
土方さんの掌が私の背中をゆっくり撫でる。


「あ、あの、土方さん?」
「いいだろ、少しくらい」
「人が来ますよ」
「俺たちが付き合ってる事を知らねえ奴はここにいねェよ」
「いえ、そういう問題ではなくってですね、私、朝食の仕込み中だったんですけど」
「怪我の手当てしてたんだ。サボりじゃねえ」


何を言っても聞いてくれない土方さんには困ったものだ。
私はされるがまま、土方さんの胸の中で束の間の休息をとった。





朝から冷え込み、太陽が昇っても一向に暖かくならない今日。
土方さんの頭の怪我の手当てを済ませ、箒とはたきを手に縁側を歩いていると、着流し姿の土方さんが向かいからやってきた。


「もうお出かけですか?」
「あぁ、ちょっとな」
「今日は冷えますよ。マフラーすぐに取ってきます」
「大丈夫だろ」
「風邪引きますよ。急いで戻りますから玄関で待っていてください」


早足で土方さんの部屋へ行き、押し入れの前で小さく畳まれたマフラーを手に取る。
返事は聞かなかったから、土方さんは出かけてしまうかもしれない。
急いで玄関へ行くと、土方さんは壁にもたれて目を閉じていた。
よかった、間に合った。


「お待たせしました」
「悪いな」
「私には、これくらいのことしかできませんから」
「ありがとう」


土方さんの首にマフラーを掛ける。
首が苦しくならないように加減に気を配りながら。
これでよし。
満足して土方さんの顔を見上げると、背後から声を掛けられた。


「できた嫁でェ」
「沖田さん!」
さんは副長専属の女中になった方がいいでさァ」
「お、お、沖田さんんん!」
「本当のことを言ったつもりなんですが、どうしてそんなに取り乱すんですかィ?」
「あの、もう、どうしてそういうこと言うんですかっ!
 土方さんも何とか言ってください、って土方さんがいないいいいいい!」


沖田さんのイジリに構っていたら土方さんは出かけて行ってしまった。
いってらっしゃいと声を掛けることもできなかった。
落ち込んでいると、沖田さんが再び私をからかってくる。


「で、どんな結婚式を想像したんですかィ?」
「そんなこと想像してません! 私は独身ですから」
さんは白無垢もドレスもどちらも似合いまさァ」


普通の女なら、憧れるのだろうか。
結婚式も、白無垢もドレスも、一般市民の私には無縁のものだ。
想像すらできない。テレビドラマで見かけても、何も感じない。


「で、隣の男は紋付き袴かタキシードが似合えば、誰でもいいってわけじゃあねェでしょう?」
「あの、それはどういう意味で?」
「俺はさんが幸せなら、隣にどんな男が立っていようが構わねェ。
 でも、だ。万が一にも、野郎がさんの隣に立てなくなっちまったら、その時は俺が隣に立ってもいいですかィ?」


私が誰かと結婚することになったとして。
その隣に誰か男の人がいて。
その人が、急に私と結婚できなくなったら、沖田さんが私の隣に立つということは、私と結婚するということだろうか。


「あの、私はどう返事をすればよいのでしょうか?」
「いや、愚問でした。すいやせん、今のは忘れてくだせェ」
「はぁ」
さんの隣に立つ男は一人だけだ。野郎じゃなきゃさんは幸せになれねェ。
 俺は、さんの笑顔を守りたい。ただ、それだけでさァ」


澄みきった青空を眺めながら、沖田さんは。手にしていたバナナの皮をむき、かぶりついた。
猿吉小僧が捕まれば、バナナの値も元に戻るだろうか。





監察が猿吉小僧の情報を仕入れたらしく、土方さんたちは出動していく。
今日も帰りは遅くなりそうだ。
朝食の仕込みも済んだが、出動した隊士たちは誰一人帰ってくる気配がしない。
お迎えするのは諦めよう。

少し早めに床についたら、夜中に目が覚めてしまった。
時計を見れば三時を過ぎている。
お手洗いに行きたくなったので、ストールを羽織って廊下へ出ると、母屋の方から物音がする。
真選組の屯所に入った侵入者だとしたら、たいした度胸だ。
警戒しながら物音がする方へ向かうと、食堂に明かりが灯っていた。
戻ってきた隊士が食事をしているのだろう。
念のため、隊士の姿を確認しに行くと、マヨネーズを丼ぶりの上にトッピングしている土方さんがいた。


「土方さん、お帰りなさいませ」
! 起きてたのか?」
「お手洗いに行こうとしたら、物音が母屋から聞こえたので、心配になって来てしまいました」
「女一人で危ねぇだろ。屯所の中とはいえ、夜中に母屋に来るのは気をつけろよ」
「はい、気を付けます。でも、土方さんがいるから大丈夫だって信じてます」


微笑むと、疲れた表情の土方さんが目を丸くしていた。
何か、おかしなことを言っただろうか。
土方さんはガシガシと頭を掻いて、照れくさそうにしている。


「わかったから、早く寝ろよ。明日も出勤だろ?」
「土方さんが食事を終えるまで、いたら駄目ですか?」
「寝ろよ。お前の体の方が心配だ」
「早めに眠ったから夜中に目が覚めたんです。だから大丈夫ですよ。
 それに、お休み合わないから、少しでも土方さんと一緒にいたいんです」


土方さんは口の中にご飯を含んだまま硬直してしまった。
私は何かいけないことを言っただろうか。
しばらくすると、もぐもぐと口を動かしだす土方さん。
その手が私の頭に伸びてきて、優しく撫でてくれた。


「寂しい思いをさせて、悪いな。猿吉小僧の件で、しばらく休めそうにない」
「いえ、土方さんの体の方が大事です。お休みのときは、しっかり体を休めてください」
「俺はお前の作った飯が食えれば大丈夫だ」


少し目を細めて私を見る土方さん。
疲れているのに、私に気を遣って優しくしてくれる。
私は、そんな土方さんに何にもしてあげられない。
ご飯は女中のみんなで作ったから、私だけが作ったものじゃない。
私は土方さんの傍にいるだけで満たされるけれど、土方さんは疲れていてそれどころじゃないかもしれない。
早く眠りたくてしょうがないから、こんなにも早くご飯を食べ終わってしまうのだ。


「ごっそーさん。今日もうまかった。離れの近くまで送ってく、っつー程の距離でもねぇけど、飯に付き合ってくれた礼だ」
「あ、はい。でも、大丈夫です。走って戻りますから。おやすみなさい」
「おい! 待てよ、。送ってくって言ったの聞こえてねーのかよ!!」
「聞こえました。お疲れのところ、声を掛けて申し訳ありませんでした」


早く寝よう。
寝て、明日になったら食堂で土方さんに会える。
お話しできなくても、私たち女中が作ったご飯を食べてもらえるだけでいい。
それでお仕事を頑張ってくれればそれでいい。

うまく走れなくて、足がもつれる。
もたついていると、土方さんに追いつかれる。
背後に気配を感じて振り返ろうとしたけれど、後ろから抱きすくめられて動けなくなった。
耳元に土方さんの吐息がかかってくすぐったい。


「何逃げてんだ。俺と一緒にいたいっつったのはお前の方だろ」
「そ、そうですけど、土方さんはお疲れで早く寝たいと思ってるんじゃないかと思って」
「風呂に入ったら寝て溺れ死にそーなくらいに眠ィな。
 でも、が俺と一緒にいたいって思ってるなら、少しでも長く一緒にいてやる。
 ああ、眠いさ。このまま眠ってもいいと思ってる」
「あのー、このまま寝られたら困るんですけど」
「そりゃそうだ。誰かに見られたら士道不覚悟で切腹だ」


土方さんの腕から解放されたと思えば、軽々と抱き上げられてしまう。
落ちそうになって土方さんの首に腕を回す。
土方さんは無言で離れの傍まで歩いて行き、あと一歩のところで立ち止まって私の体を地に下ろした。


「俺はここから先には入れねぇ。おやすみ、。冷えないように、さっさと布団に入れよ」
「はい、ありがとうございます。土方さんもゆっくり休んでください」
「悪いな。あまり一緒にいられなくて。最初からわかっていたけど、いざそうなるとけっこうキツイな。
 このまま連れ帰って一緒に眠りてェ」


その言葉だけで十分だ。
私だけじゃなかった。土方さんも似たような気持ちだったんだ。
そう思うと、安心してまぶたが降りてくる。


「そうですね。私も土方さんと一緒に眠りたいです。でも今日はすごく眠たくなってきました」
「そうか。じゃあ、また明日」
「はい、また明日」


離れの扉を閉め終えるまで、土方さんはずっとこちらを見つめていた。




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猿吉小僧の話で土方さんがマフラー巻いてるのを見て思いついた話。
そごたんに「できた嫁でェ」って言わせたかったの!


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